琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

インターネットに騙されるな!

「趣味のWEBデザイン・2月3日」
http://deztec.jp/design/04/02/000082.html

↑で徳保さんが書かれていること(「WEB上でも、風説によって他者の名誉を毀損することは望ましくないし、そのような内容はプロバイダーから削除されても仕方がない」(僕の解釈))は、基本的には正しいと思う。
松本サリン事件で最初に犯人にされてしまった人のように、この手の「風説被害」で人生を棒に振ってしまった人というのは、けっこう多いのだ。

その一方で、こんなことも考える。僕の知人に学生時代にオウムに入信して出家してしまい、今でも行方不明の人がいる。もう12年くらい前の話だ。もし彼が入信する前に、現在のようにインターネットが普及していて、「悪徳商法マニアックス」のようなサイトでオウムの内幕を知って(というか、そういう情報を見て)いたら、彼はオウムに入らなかったんじゃないかなあ、なんてことも思った。
ウエディングが悪徳企業であるかどうかはさておき、実際にそういう悪徳企業や危険な宗教団体が社会的に大きく糾弾されるのは、多くの被害者が出てからであることを考えると、一部の「判断力がある」人たち以外にとって、「風評」は必ずしも無益ではないような気もする(だからこそ怖い面もある)。
「騙されるのが悪い」というのは、あまりにも強者寄りの発想のような気がしてならない。今でも「サイドビジネスメール」が頻繁に来るのは、騙される人がいる、ということでもあるだろうし。

以前、冤罪で死刑になる人もいるから、死刑制度はやめるべきだ、という意見に対して、現在の殺人事件の被害者数と死刑判決を受けたヤツの数、そして現状の日本の裁判制度での冤罪で死刑判決を受ける確率について考えてみたのだが、、
無実の人が冤罪で死刑判決を受ける確率<<<<<<<自分や大事な人が殺人事件の被害者になる確率
 という結論を僕は出して、それならば、冤罪が起こる確率が完全に0でないとしても、死刑制度は存続させるべきだと書いた。
 ネット上での「情報」については、メリットとデメリットに、そこまで大きな有意差はないような気もするが。

ネットが一般的になるにつれ、メールが来たときの嬉しさとか、ちょっとアングラなサイトを発見したときのときめきはどんどん失われていく。
そういう意味では「2ちゃんねる」は、最後の聖域・ネット界の五稜郭と化している感すらあるし、ひろゆきという人は凄いなあ、とあらためて感じる。
まあ、「2ちゃんねる」ですら、これだけの大きさになればひとつの「権威」だと言えないこともないのだけれど。

今回の件に対するGoogleや「はてな」の対応は、「企業としては」至極まっとうなものだろうけど、少なくとも使う側としては、「Googleも一企業である」という視点を忘れてはならないと思う。
社員の生活だってかかっているし、ヤバイ訴訟なんかに巻き込まれたいわけがない。信念のために死ねる人間が語り継がれるのは、そういう人間が稀有な存在だからだ。

本に書いていることも、新聞に書いてあることも、ネット上に書いてあることも、すべて虚実が入り混じったものだ。
もちろん、ここに書いてあることもそうだ。

真偽を見分けていくには、学んでいくしかない。
(とはいえ、絶対に騙されない人間、なんてのもいないんだけどさ)

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