琥珀色の戯言

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疲れすぎて眠れぬ夜のために ☆☆☆☆


疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)

疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)

出版社/著者からの内容紹介
「らしさ」と型の復権、生きる力はここから始まる。

ベストセラー『おじさん的思考』の著者が贈る、真に心震える幸福論。日本人の身体文化の原点に立ち返る、迫力ある提言がここに。

僕は内田樹先生の著書を1冊全部読んだのははじめてなのですが、正直、「ああ、この人はすごい、そして、この人の考えていることもすごいなあ……」と感動してしまいました。今まで僕は、自分が「常識」や「個性」だと思っていたものに、こんなにも束縛され、自分を生きづらくしてきたのか……と。
実際は、この本に書かれている「生きかた」を実践できるのは、内田先生のような「超人」だけのような気もしなくはないんですけどね。

 ところで、ぼく自身はぜんぜん「我慢」というものをしない人間です。
 ですから思春期になって、親子対立の徴候が出たところで、すぐに家出をしてしまいました。
 内田家の人たちとはたいへん仲がよかったんですが、ある時期、何となく父と話が通じないと思ってきたので、「じゃ、うち出ちゃおう」と決めたのです。別に、父と喧嘩をするとか、無言の食卓で気まずい空気が濃密になり、「うるせえな」とか「なんだ、その口のきき方は!」みたいな劇的な光景が展開したわけではありません。
 何となくちょっと黙り気味になって、親との対話がうまくゆかなくなっただけです。それまで父親の話を聞くことはぼくにとって少しも苦痛ではありませんでしたが、ある時期をさかいにして、父親の「教訓くさい」話が急に聞きたくなくなったのです。一方の父もそれまではぼくのおしゃべりをけっこう面白さそうに聞いてくれていたのですが、ぼくが高校で仕込んできた新知識や新しい考え方を披瀝するようになると、不快そうな顔で応じるようになりました。
「あれ、話が通じなくなったな」と思ったので、夏休みの間バイトをしてお金を貯め、アパートも借りて、それからある日曜日に運送屋を呼んで、「じゃ、これで失礼します」ってそのまま家出して、ついでに高校もやめてしまいました。
 内田家のみなさんはずいぶん驚いてました。
 でも、結局、半年くらいでぼくの家出は(飯が食えなくなって)失敗し、ぼろぼろに尾羽打ち枯らして、「すみません」と家に戻ることになりました。しばらく部屋の隅っこの方でじっと逼塞していましたが、大検を受けて、十九のときに大学に受かると同時に入学手続きもしないうちに駒場寮に飛び込んで、そのまま二度と家には戻りませんでした。

こうして東大に入学してしまう内田先生!
いや、「良い子は危険だからマネしないように」という感じです。実際この本には、「心安らかに生きるための方策」が、そこらへんの新興宗教が裸足で逃げ出すくらい、わかりやすく、そして誰にでもできるように書かれているのですが、本当に「実行」するのは至難のワザです。「嫌な会社なんてやめちまえ!」と言うのが「正論」でも、多くの人は、そんなことをしたら「食えなくなる」のは目に見えているわけで。
僕はこの本、すごく面白いし、何となく人生に煮詰まっている人(とくに10代後半から20代前半くらい)には、ぜひオススメしたいのですけど、けっこう「自分がダメな人間であることを思い知らされる」ところも多いです。哲学者のように考えることは(一時的には)可能でも、哲学者のように生きるのは本当に難しい……

最後に、この本のなかで、僕がいちばん印象に残ったところを引用させていただきます。

 みんなが忘れているのは、戦後の奇跡的復興の事業をまず担ったのは、漱石が日本の未来を託したあの「坊ちゃん」や「三四郎」の世代だということです。この人たちは日清日露戦争と2つの世界大戦を生き延び、大恐慌辛亥革命ロシア革命を経験し、ほとんど江戸時代と地続きの幼年時代からスタートして高度成長の時代まで生きたのです。
 そういう波瀾万丈の世代ですから彼らは根っからのリアリストです。あまりに多くの幻滅ゆえに、簡単には幻想を信じることのないその世代があえて確信犯的に有り金を賭けて日本に根づかせようとした「幻想」、それが、「戦後民主主義」だとぼくは思っています。
 ぼくは1950年代は子どもでしたから、その世代の人たちのエートスをまだかすかに覚えています。小学校の先生や、父親たちの世代、つまりあの頃の3、40代の人はほとんどみな従軍経験があって、戦場や空襲で家族や仲間を失ったり、自分自身も略奪や殺人の経験を抱えていた人たちです。だから、「戦後民主主義」はある意味では、そういう「戦後民主主義的なもの」の対極にあるようなリアルな経験をした人たちが、その悪夢を振り払うために紡ぎ出したもう一つの「夢」なのだと思います。
 「夢」というと、なんだか何の現実的根拠もない妄想のように思われるかも知れませんが、「戦後民主主義」はそういうものではないと思います。
 それは、さまざまな政治的幻想の脆さと陰惨さを経験した人たちが、その「トラウマ」から癒えようとして必死に作り出したものです。だから、そこには現実的な経験の裏打ちがあります。貧困や、苦痛や、人間の尊厳の崩壊や、生き死にの極限を生き抜き、さまざまな価値観や体制の崩壊という経験をしてきた人たちですから、人間について基本的なことがおそらく、私たちよりはずっとよく分かっています。
 人間がどれくらいプレッシャーに弱いか、どれくらい付和雷同するか、それくらい思考停止するか、どれくらい未来予測を誤るか、そういうことを経験的に熟知しているのです。
 戦後日本の基本のルールを制定したのは、その世代の人たちです。
 明治20年代から大正にかけて生まれたその世代、端的に言ってリアリストの世代が社会の第一線からほぼ消えたのが70年代です。「戦後」世代の支配が始まるのは、ほんとうはその後なんです。
 はっきりしていることはその世代に比べると、戦後生まれのぼくたちは、基本的には自分たちの生活経験の中で、劇的な価値の変動というものを経験していないということです。飢えた経験もないし、極限的な貧困も知らないし、近親者が虐殺された経験もないし、もちろん戦争に行って人を殺した経験もありません。貨幣が紙屑になる経験もありません。国家はとりあえず領土を効果的に保持していましたし、通貨は基本的には安定していました。
 基本的に戦後日本のぼくたちはまるっきり「甘く」育てられているのです。

戦後民主主義」は、現代では「甘い考え」のように思われがちのようですが、ここで内田先生が書かれていることを僕たちはもう一度よく考えてみる必要があるのではないかと。まあ、「戦後民主主義」そのものが、70年代くらいを境に「変容」してしまった面もあるのかもしれませんけど。
ネットでは、「お前は『ゆとり』だろ!」って、いわゆる「ゆとり世代」を馬鹿にする人がけっこうたくさんいるのですが、歴史をもっと長い目でみれば、今ここでネットをやっている「人生でいちばん辛い体験が失恋や受験の失敗である僕たち」は、「総ゆとり世代」みたいなものですよね……

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