琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

誰かが、川田亜子さんを「救えた」のだろうか?


川田亜子さんの御冥福をお祈りします。

結局blogなんて、クソの役にも立たなかったわけだ。(はてな匿名ダイアリー)

mixiに鬱日記を書く人たち - Thirのはてな日記
この悲報を聞き、↑の2つのエントリを読んで考えたことを書きます。

川田さんがあの若さで自ら命を絶たれたというのは、やっぱり「残念だなあ」とは思うけれど、その一方で、「川田さんは自分のブログでSOSを出していたのに」などというのを読むと、僕は「そうは言ってもね……」とも感じるんですよね。

元TBSの川田亜子アナが自殺、5月からブログには不安定な記述も。(narinari.com)
↑の記事より。

◎公式ブログの記述
5月7日
「先週から口がうまく回らなく、どうしたものかと悩んでおりました。普段から喋りがなめらかとは言えない私にとってとても心配であり、不安が押し寄せてきます。特に心あたりもなく…」

5月8日
「いつもの私がまだ見つけられません」

5月9日
「やっと1日が終わりました。長かったです」

5月10日
「ようやく夜ですね。夜だから楽であるかと言えば違いますが」

5月12日
「母の日に私は悪魔になってしまいました。もともとそうだったのかもしれません。産んでくれた母に、生きている意味を聞いてしまいました。母の涙が 私の涙がとまりません。母の涙が耳の奥で響いているのです」

5月20日
「こうしてメイクをして仕事の準備をして移動しない空間にいると取り残されている感じ」

5月21日
「言葉が…でてこないので、今日は書くのをやめようと思います。」

5月22日
「(仕事の合間が)一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかったのに…今はせつないです」

↑の記事のように、「最近の川田さんのブログでの記述はおかしかった」とメディアで報じられているのですが、

川田亜子 オフィシャルブログ 『Ako's Style』 Powered by アメブロ
↑の公式サイトで原文にあたって、そのほかの部分も含めて読んでみると、そんなに「ものすごく異常」な感じでもないのです。
いや、さすがに5月12日の記述は、あぶないな、と思いますけど。

5月22日の「仕事の合間」というタイトルの全文は、

一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかったのに…今はせつないです。豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めてながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます。

というもので、通して読んでみると「仕事で余裕がない心境」とか「センチメンタルな気分」は伝わってきますが、このくらいの「煮詰まり感」を漂わせているブログって、個人ブログ(やmixi日記)には、本当にたくさんあるんですよね。

僕がこれらのエントリを読みながら考えたのは、川田さんの場合は有名人だったからこんなふうに「検証」されているけれど、ブログで「サイン」を出していたにもかかわらず、誰にも気付いてもらえず、自殺しても話題にならなかった人はけっこういるのだろうなあ、ということでした。
でも、だからといって、ブログの閲覧者にできることが何かあるのかと言われたら、それはとても難しい。
僕は精神科医ではないのであくまでも聞きかじった範囲での知識ですが、鬱の患者さんに対しては「励ましてはいけない」とよく言われます(ただし、これも患者さんの病状や言葉をかける相手との関係などによって、ケースバイケースではあるようです)。本当に「死にたい」というか「死ぬ以外の選択肢が頭に浮かばない」状態の患者さんに対しては、「温かい言葉」よりも、「薬物治療」のほうが必要なケースも多いのです。だからといって、コメント欄に「早く病院に行ってください」って書いたら、かえって「荒らし」みたいに見えます。

元TBSアナウンサーの川田亜子さん、練炭自殺。車内に遺書
↑のエントリでの「名無しさん」たちの反応を読んでいると、「そんなに無理することなかったのに」「あんなに話題になっていたんだから、周囲が無理にでも入院させればよかったのに」という声がけっこうあって、「僕も前はそう思っていたなあ」なんてことを考えました。
でも、正直言って、そういうのって「結果論」になってしまうことばかりなんだよね。
芸能界に限らず、最前線で頑張っている(つもりの)人って、誰しも、「もう、このまま進んで行ったらダメなんじゃないか」「自分はもたないのではないか」って感じたり、ものすごく落ち込んでしまって、「死ぬこと」が頭をかすめてしまうことってあるのではないでしょうか。
そのくらい自分に対してギリギリのところまでいかないと、「成功」するのは難しい。そもそも「自分の限界」って、自分でもよくわからないんですよね。
ちょっと調子が悪くなった、気分が落ち込んだという状況で、「これは危ないから休養」していたら、キリがないというか、とても「一人前」になんかなれない。僕の周りの人たちの多くは、このサーキットのコーナーの「ギリギリのところ」を攻めてなんとか通過し、そのうちの何人かは、ブレーキングのタイミングを(結果的に)誤って、コースアウトしていきました。
そりゃまあ、そうなってみれば、「そんなにスピード出さなきゃよかったのに」「もっと早目にブレーキかけておけばよかったのに」って思います。
でも、そうやって「レースを投げる勇気」っていうのは、なかなか出ないものなんですよ。周囲の判断で無理にレースを止めさせてしまったら、そのレーサーは、そのことで一生後悔するかもしれないし。
川田さんのような「成功体験」に満ちた人生を送ってきた人はなおさらだと思う。
彼女はたぶん、直前まで、「まだまだ大丈夫。芸能界で生きていくというのは、こういうものだ」と、自分に言い聞かせていたのではないかなあ。
もちろん、結果的に川田さんの場合には「死を選ばざるをえないほど病的なレベル」だったのですが……そういうのって、たぶん、「わからない」んだよ、自分にも、周りにも、こうなってみてはじめて「もう限界だったのか……」というのが「実感」なんじゃないかと。
周りの人は、「なんとかコーナーを回ってきたところ」しか今まで見ていないのだから、「今度もたぶんだいじょうぶなはず」と考えてしまうものなのだろうし。

僕は最近、こういうのはもう、「運命」なのではないか、と思えてきてなりません。
川田さんの場合、適切なタイミングで専門的な治療を受けられていたら、たぶんこういう結果にはならなかったのだろうけど、そうできなかったことも、(本人を含む)「誰か」の責任ではないはずです。

こんなことを言っても、誰かが救われるわけじゃないんだけど……

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