琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

夏と花火と私の死体 ☆☆☆☆


夏と花火と私の死体 (集英社文庫)

夏と花火と私の死体 (集英社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
九歳の夏休み、少女は殺された。あまりに無邪気な殺人者によって、あっけなく―。こうして、ひとつの死体をめぐる、幼い兄妹の悪夢のような四日間の冒険が始まった。次々に訪れる危機。彼らは大人たちの追及から逃れることができるのか?死体をどこへ隠せばいいのか?恐るべき子供たちを描き、斬新な語り口でホラー界を驚愕させた、早熟な才能・乙一のデビュー作、文庫化なる。第六回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞受賞作。

 この作品が『ジャンプノベルズ』に発表されたのが1996年。
 これを書かれたとき、乙一さんは16歳でした。
 当時、「この若さでこんな作品を書くなんて!」とたいそう話題になったのですが、僕は「ケッ、若いってだけで話題づくりのために受賞したようなガキの小説なんか読めるかよ!」と、読んだこともないこの作品を嫌っていた記憶があります。
 結局、乙一さんは「一発屋」などではなく、現在でもトップランナーとして活躍されていて「栴檀は双葉よりも芳し」ということわざを実証されているんですけどね。

 今回「気軽に読める薄めの本」を書店で探していて、200頁あまりのこの文庫を買って読んだのですが、表題作『夏と花火と私の死体』には、すっかり引き込まれてしまいました。いや、リアリティがないとか、どこかで読んだような「どんでん返し」だったとか、いろいろ感じたところはあるのですけど、なんだかとても「続きが読みたくなる作品」なんですよね。乙一さんは、子どもの「幼さ」と「残酷さ」を緻密かつ容赦なく描いていて、それができたのは、当時の乙一さんにとって、「子ども」というのがまだ生々しい記憶だったからではないかと思うのです。

 この作品の「解説」で、小野不由美さんがこの本を読んだ当時の「感想メモ」を紹介されています。

「さて問題は、『わたし』の死体の一人称なのだが。――これが、すごく変。そう、変なのだ。これは五月という殺された少女の一人称ではない。死体を抱えて右往左往する子供につきまとった亡霊の視点ではない。これはむしろ、『わたし』という自称を持つ神の視点なんだと思う。五月という少女の一人称、彼女の視点は、死を契機にして神の視座へと昇る。――そう考えたほうがいいのではないだろうか。この神はかつて五月という9歳の少女であり、五月の記憶を持っており、五月の情感の残滓を留めているのだが、確実に記述上の『神』だ」

「この、神の視点に昇った五月の語り口が、実に微妙で気持ちいい。――なんとも奇妙で収まりが悪くて気持ち悪いのだが、その、どうにもモゾッとした感じがすごく快感で、しかもこれがサスペンスとの折り合いがいい。
 明るい夏、のどかな田園風景、牧歌的な田舎の集落、それを綴っていく死体、その何とも言えない、モヤモヤした語り口の――異物感というか違和感というか、その落差が素晴らしい」

 この作品の「狂言回し」は「死んでしまった五月」なのですが、この小説のすごいところは、「死んでしまった少女が淡々と物語の進行役をつとめていること」なのではないかと思います。
 普通、こういう特別な視点で書かれる場合には、「なぜこの人物が語り手なのか?」が説明されるはずです。
 「この世に無念を残したので、霊として存在している」とか「実は死んでいなかった」とか。
 でも、乙一さんは、そういうことを全く説明せずに、この物語を書いているのです。
 「それって変」なんですよ本当は。でも、その「変」なところがいちばんこの小説の怖いところなのかもしれません。
 もしここで、「五月視点の理由」を言葉にしようとしていたら、この小説はつまらないものになっていたような気がします。そういう「説明しないセンス」こそが、乙一さんの才能なのかな、と。

 ところで、僕がいまこの小説を読んで痛感したのは、「若すぎることとか人生経験の少なさというのは『書けないこと』への言い訳にはならないのだ」ということだったんですよね。
 「ネタになるような専門知識がないし……」とか「人生で特別な経験をしたことがないから……」というような「書けない理由」を考えてしまいがちだけど、この『夏と花火と私の死体』を読むと、誰でも経験しているはずの「ごく普通の夏休みの記憶」だけでも、面白い小説というのは十分に書けるのです。
 いや、それができるからこそ乙一は天才なのだ、ということなのでしょうけど、逆に言えば、「自分の手持ちのカードの少なさを嘆いているだけで書こうとしない人間には、いつまで経っても『作品』なんて書けない」ということなのでしょう。
 併録されている短編『優子』は、「この年齢にしてはすごい」と感じたくらいの「作者の年齢を意識してしまう」レベルの作品だったのですけど、表題作には一読の価値があると思います。


 

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