琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

サービスの達人たち ☆☆☆☆


サービスの達人たち (新潮文庫)

サービスの達人たち (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
オードリー・ヘップバーンマイケル・ジャクソンが感激した伝説の靴磨き。ロールスロイスを売りさばく辣腕営業マン―。名もなき“職人”たちのプロフェッショナルなサービス、本物のサービスの真髄とは。

ロールスロイスを売り続ける男
東京っ子が通う「並天丼」の魅力
ナタリー・ウッドの背中を流したかった
チーフブレンダーの技と素顔
伝説のゲイバー、接客の真髄
命懸けで届けた被災地への電報
銀座より新宿を愛したナンバーワン・ホステス
「怪物」と呼ばれた興行師
ヘップバーンも虜にした靴磨き

約10年前に刊行された本でもあり、内容的には「いまでは日常的にほとんど見かけない仕事」の人も多いのですが、読んでいると、彼らの「サービス」の素晴らしさ、技術へのこだわりと同時に、この「達人」たちの人間的な魅力にも魅了されてしまいます。
個人的には、「チーフブレンダーの技と素顔」と「『怪物』と呼ばれた興行師」が好きでした。

この本を読むと、「良いサービス」には技術的な裏づけが必要なのだけれども、それだけではダメなのだ、ということがよくわかります。

「響」をつくった、元サントリーのチーフブレンダー・稲富孝一さんのエピソードから。

「今、ソムリエって人気がありますよね。ソムリエとブレンダーの利き酒能力はどちらが高いと思われます?」
 彼は答えた。
「ワインとウイスキーは違うものだが、ワインはわかる。手がかりが多い。土地、年、銘柄……」
 そこで彼は急に話を変えた。
「いや、ソムリエの仕事で大切なのは、私は利き酒の能力じゃないと思う。それはね、お客さんを見ることなんじゃないか。このカップルはどうしてフランス料理を食べに来たのか、誕生日なのか、デートなのか。懐にはいくらくらい持っているのか。若いカップルだからといって、安いワインを薦めたんじゃ男は怒るだろう。男は見栄っぱりだから。そういうことを考えて、料理や懐具合にあわせてお客さんの喜ぶワインを見つけることがソムリエの仕事じゃないか。人間を見るというのが彼らの仕事の本質だよ」
 そこまで彼が話したのを聞いて、ふたりとも「待てよ」と思った。
「ブレンダーはどうなんですか? 人間を見る能力はいらないんですか」
「そうだ、そうだね。一人ひとりの顔を見ることじゃないけれど、ウイスキーを飲む人の顔を思い浮かべるというのがイメージの造形に役立つかもしれない。新しい酒を造ろう、造ろうと製品の方にばかり目がいっても駄目だ。ああ、そうだ、人間を見て、人間を面白がることがイメージをつくるのに一番いい、かもしれないなぁ」

このエピソードでは、スコットランドアイラ島のあるメーカーの元ブレンダーで、取材時には広報担当をやっていたという、ジェームズ・マッキュワンという人のこんな話も紹介されていました。

「今日、島に戻って僕はすぐに病院に行った。あなたたちに会う前にね。……実は17歳でボウモアに入社とたとき、仕事を教えてくれた恩人が病気なんだ。相当、重い病気でね……」
 それまで笑いながら食事をしていたのに、マッキュワンは突然、激して、顔を覆って泣き出してしまう。
「すべてを教えてくれた。仕事のすべてを。彼は樽作りを続け、そのまま引退した。しかし、このウイスキーには彼がやった仕事の味が反映している。今、飲んでいるこれは彼が作った樽で熟成されたものだから……。それで突然、思い出してしまった。申し訳ない、初対面のあなたの前で取り乱してしまって……。ウイスキーは神様が作ったもの、と宣伝パンフレットにはよく書いてある。それはこういうことだ。蒸留されたときは無色透明な液体が樽のなかで木の成分を吸い取り、長い年月の間に色や香りがしみ込む。貯蔵してある場所によって色も味もまったく変わってしまう。その味や色や香りは人間が意図して造れるのもではない。
 だから神様が造った、とコピーライターたちは表現する。だが、そんな表現は甘っちょろい言葉の遊びだ。私は17の時から現場で仕事をしていたからよくわかっている。このウイスキーは、今日あなたが声をかけた男たちが造っているんだ。病院で寝ている、今にも死にそうな私の恩人も造った。そして私も造った……。神様じゃない。小さな島に住む人間が造った味なんだ。
 ドクター・イナトミ。あなたもブレンダーだから、私の言いたいことがわかるだろう。ウイスキーはあくまで人間が造ったものだということが。ウイスキーはリフレクションなんだ。この島を反映し、この島の人々を反映し……」

ときどき「サービスは心だ、気持ちの持ちようだ」みたいなことを言う人がいるのですが、もちろんそれも大事な要素のひとつです。でも、このマッキュワンさんの言葉を読んで僕が感じたのは、「心を語る資格があるのは、ある一定以上の技術を持った人間だけではないか」ということなんですよね。
技術に敬意を払わずに、「心の持ちよう」ですべてが解決するという発想は、先人達が積み重ねてきた「技術という遺産」に失礼なのではないかと。

医療は「究極のサービス業」なんて言われることがあるのですが、「看護の心」ばかりがもてはやされる看護師の仕事というのも、実は「なるべく苦痛が少ない患者さんの体の向きの替えかた」とか、「点滴の管理のしかた」というのは、「技術」なんですよね。どんな優しい看護師さんでも、技術が未熟だと患者さんは辛い。そりゃあ、あまりに人間的に問題がある看護師が担当でも辛いでしょうけど。

この文庫の「解説」で、酒井順子さんがこんなふうに書かれています。

 野地さんは、普通の人の目にはとまらない存在に気付き、好きになり、光を当てる人です。野地さんの筆によって取り上げられたことで、描かれた人達はきっと少しテレながらも、うれしい気持ちになることでしょう。そして読んでいる私達もまた、「こんな素敵な人がいたのか」、「こんな世界があったのか」と刺激を受けつつ、和やかな気持ちになることができる。そんな野地さんの仕事はまさに、取材対象と読者とを繋ぐ、サービス業と言うことができるのではないでしょうか。
 社会の「闇」をえぐり出すルポタージュは数あれど、社会の「陰」に隠れている善良な人たちを見いだすルポタージュというのは、そうあるものではありません。

この本に書かれている人たちは、一癖ありそうだったり、ちょっとだらしなかったりもして、けっして「高潔な人格者」ばかりではありません。でも、そこがたぶん、この本のいちばんの魅力であり、この本を「善良なルポタージュ」にしているのだと思います。

「サービス業」を続けることに疲れている人、居酒屋の「喜んでェ!」みたいなのが「サービス」なのだと思い込んでいる人には、ぜひおすすめしたい作品です。

アクセスカウンター