琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

グラン・トリノ ☆☆☆☆☆


映画『グラン・トリノ』公式サイト

あらすじ: 妻に先立たれ、息子たちとも疎遠な元軍人のウォルト(クリント・イーストウッド)は、自動車工の仕事を引退して以来単調な生活を送っていた。そんなある日、愛車グラン・トリノが盗まれそうになったことをきっかけに、アジア系移民の少年タオ(ビー・ヴァン)と知り合う。やがて二人の間に芽生えた友情は、それぞれの人生を大きく変えていく。(シネマトゥデイ

土曜日の20時台からのレイトショーで鑑賞。公開初日ということもあってか、観客は50〜60人くらいとけっこう盛況でした。

この映画、正直、最初の30分くらいはちょっと感じ悪かったんですよ。
役柄とはいえ、主人公のウォルトは超偏屈じじいで、人種差別主義者。東洋人には「イエロー」なんていう言葉を容赦なく投げつけます。アメリカにはまだこんなジジイがいるのか……(まあ確かにいそうですよね)とウンザリした気分になりつつ観ていたんですよね。
隣人のタオ、スーの兄弟との「友情」も、なんというか「ああ、これでこの偏屈ジジイが若者たちに『人生』とやらを説教して終わるんだろうな」とバレバレの展開、だと思いながら、ちょっと冷めた気分で観ていました。そんなにうまく融和できるようなものじゃねえだろ、とか内心毒づきつつ。

でも、最後まで観終えてから、しばらく僕は席を立てませんでした。ちょっと人に見せられない顔になっていたので。
この作品、クリント・イーストウッドの「出演作としては最後」だと言われているのですが、ウォルトの「選択」がイーストウッドの「遺言」なのだろうか?
イーストウッドの「美学」と「最後まで反骨心を失わない強さ」には、本当に頭が下がります。
僕はこれ、「ランボー」になっちゃうのかな、と思っていたんですよ。
ところが、イーストウッドは、「多くの観客がそれを望んでいること」を知っていながら、あえてそうしなかった。
チェンジリング』もそうなのだけれど、イーストウッド監督は、「わからないことをわからないままの姿で描くことができる」数少ない監督です。

僕はこの映画を観て、もう5年くらい前にアメリカのラスベガスに旅行したときのことを思い出しました。
僕とy嫁(当時はまだ「嫁」じゃなかったのだけれど)は、現地ツアーで、「フリーモント通り」のアーケードの映像ショーを観に行ったのです(この通りは、ラスベガスのダウンタウンにあって、1200万個のLEDがアーケードに設置され、光と音のショーが定期的に行われています)。
そこで、大柄な黒人男性3人組が笑いながら近づいてきて、y嫁が(たぶん)卑猥な言葉を浴びせられ、手をつかまれたりしました。
いや、彼らはおそらく、「何も知らない東洋人の女の子をちょっとからかってみた」だけだったと思うんですよ。
でも、僕たちにとっては、それはとても怖い体験だったのです(y嫁はけっこう平然としていたので、「僕にとって」と言ったほうが正確かもしれません)。もし彼女がいきなり連れていかれたりしたら、僕が闘わなくてはいけない。でも、相手は屈強な男3人、勝てない……
なんというか、僕が日頃頼っている「正義」とか「秩序」なんていうのは、日常生活の末端レベルでは、全くもって無力なのではないか、というようなことを最近よく考えます。
街でチンピラたちの「偶然の悪意」を向けられたとき、僕たちはどうすればいいのか?
法や秩序や警察は、彼らを裁いてくれるでしょう、きっと。
しかしながら、その「裁き」がくだるときには、僕たちはもう、どうしようもないくらいに損なわれているかもしれません。
社会の末端での「暴力」に対しては、「こちらも暴力で応戦する」しかないのではないか?
あるいは、高い壁をつくって、危ない連中を「隔離」するしかないのではないか?
以前、ボストンに行ったときに、現地の大学で働いている先生が案内役を買って出てくれたのですが、彼はこんなことを僕たちに言っていました。
「地下鉄のこの駅からこの駅までは安全だけど、ここから先は危ないから、ひとりじゃ乗れない」「このあたりの地区では、ただ車を運転しているだけで、東洋人という理由でフロントガラスに石を投げられたことがある」

この映画でのウォルトの「選択」に僕はものすごく不満です。
そんなのこちら側にとっては「割に合わない」じゃないか!と怒りさえ感じました。

いや、こういう「過剰な(?)危機感」が国家レベルになると「防衛のための軍拡競争」になってしまうのだろう、ということは理屈では僕もわかります。
でも、本当に無力すぎるんだよ、そういう暴力に対して「善良な市民」たちは。

すみません、この映画を観ていない人にとっては、僕が何を言っているのかサッパリ理解できないのではないかと。
僕の希望としては、「イーストウッドは渋いなあ!」という感想だけではなく、こんなことを考えた人間がいた、ということを頭の片隅に置きながら、なるべく多くの人にこの映画を観てもらいたいのです。

あと、もうひとつ心に残ったことを。
ウォルトは、タオに対して、「人生の目標となるような男」の役割を完璧に担います。
でも、ウォルトは自分の血が繋がった子供たちとは、全くわかりあえていないんですよね……
僕はウォルトと息子たちの関係に、僕の父親と僕、そして、僕と息子のことをあてはめて考えずにはいられませんでした。
人間ってさ、手遅れになってからいつも思うんだよなあ。
「もう1回同じチャンスを与えてくれたら、今度はうまくやれるはずなのに」って。

「大人と呼ばれる年齢になった人」には、ぜひ一度観ていただきたい、素晴らしい作品だと思います。
この映画に「本当にこれでいいのか?」と感じるのは、きっと、現実も「本当にこれでいいのか?」と言いたくなるような世の中だからなんだよ。

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