琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「コミュニケーション不全」は、誰のせい?


ぼくが今日はてな東京本社にお邪魔して一言申し上げたこと - ハックルベリーに会いに行く(2009/6/11)
↑のエントリのブックマークコメント


僕は、いうべきことをいった、といいたがるひとたち - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記(2009/6/12)
↑のエントリのブックマークコメント


このやりとりやブックマークコメントなどを見て思ったことなど。
僕はこれを読みながら、「はてなブックマークでコメントを書いている人たちって、なんだか自分の対人コミュニケーション、『自分が言いたいことを相手に伝えること』に自信があるんだなあ」と感心してしまいました。
そのわりには、全然「他人の話を聞こうとしていない」ように見えるんだけど。

id:aurelianoさんのエントリは、

「『はてな』はもっと、『はてな』内での悪口や誹謗中傷などについて、明確なスタンスを打ち出して、対策を講じるべきではないか」、そうしないと、『はてな』のサービスで「いじめられた」ことを苦にして死んだ人が出た場合に、『はてな』も責任の一端を問われることになるかもしませんよ、と川崎さんに強く訴えた。

という内容だと僕は解釈しました(まあでも、ひたすらまわりくどい言い方ではありますね。芸風なんだろうけど)。

この意見に対して、僕は原則的に賛成ですし、こうして「誰かがそういう言葉を『はてな』に対して届けようとした」という記録が残ったのは、けっこう重要なことではないかと思います。
これで、有事の際に「そんなことが起こるとは、夢にも思わなかった」っていう言い逃れをすることはできなくなったわけですから。
(まあ、「それは利用者同士の問題であって、『はてな』の責任ではない)というのがいままでのスタンスですし、たぶんこれからもそうするつもりなのでしょう。それが『はてな』の外にどのくらい理解されるかは疑問ですが。個人的には、外側に向かって「誹謗中傷はやめましょう!って言ってます!!」というポーズだけでもとっておいたほうが、組織としては良いんじゃないかとは思います)

この意見に対する賛否はあるでしょうし、僕はそれで構わないと考えています。
でもね、この内容だけ読んで、「こいつは相手に伝わらない話を延々とやって、『ガツンと言ってやった』なんていい気になってるバカ」みたいな解釈をするのは、あまりに偏狭なのではないかと。

みんな、あのエントリを読んで、「何が言いたいのか川崎さんに伝わってない」って、本当に思ったの?
川崎さんは、通りすがりのオッサンではなく、『はてな』のサービス担当者として、『はてな』の有名ブロガーの率直な意見を「訊くために」相対していたわけで、ハックルベリーさんの言いたいことは、ある程度「伝わった」はずです。いや、実際に話してみたら、ものすごく支離滅裂な話し方しかできない人だった、とかいうのなら別ですが、このエントリで書かれているのと同じレベルのやりとりであれば、理解できなければ企業のサービス担当者としては厳しいですよ。
もちろん、その意見に対して、川崎さんや『はてな』が、どう感じ、何かを変えようとするのかどうかは、また別の話です。
企業としての姿勢もあるでしょうし、当然コストの問題もあるでしょう。

ブックマークコメントで叩いている人たちは、なぜ川崎さんに「訊く力」がないと決め付けているのか不思議でなりません。
たぶん、id:aurelianoさんに対する先入観がいろいろあって、そのせいで、「こいつの言うことはすべて理解不能、叩かれてもしょうがない」というスタンスになっているんじゃないかな。

そういう人たちが、id:kawangoさんの

聞き入れられる可能性のうすいメッセージを発信する場合、結局、聞き入れられないのは発信するほうが悪い。

もし、あなたが本当に現実を変えたいと思うなら、別の方法を考えろということだ。ことばで現実を変えれるのは権力者だけだ。

もうひとつ、他人を説得するとき、ぼくが必要だと思うのは、相手の言葉、相手の理屈をつかって話せないとだめだということだ。自分の理屈は自分と同じ知識をもっているひとにしか通用しない。

なんて言葉に拍手喝采しているのをみると、僕は絶望的な気分になります。
ちょっと待て、「最初からまともに話を訊く気もないどころか、自分の好きなように解釈して叩こうと待ち構えている連中」に対して、言葉が「伝わらない」ことまで、発信者の責任なのか?と。

そんなことを考えてしまうのも、僕が仕事上、何人も「最初から否定的なスタンスでしか話を聞いてくれない人」「自分に理解できないことは、説明のしかたが悪いのだと相手を責めるだけの人」「結果が望んだものでないと、『そんな説明は聞いてない。理解できなかった』と言い出す人」と接してきたからなのかもしれません。
僕たちが現在置かれている立場というのはかなりやっかいなもので、そういう悪意の聞き手に対しても「専門家として『わかるように』説明する責任がある」という理由で、民事、酷いときには刑事処罰の対象になるのです。

「相手の言葉、相手の理屈」が使えるのは、少なくとも「相手が訊こうとしてくれている場合」に限られます。
どんなに相手に寄り添おうとしても、サッカーの試合を観るために急ぎ足で家に帰っている人は、選挙演説に立ち止まってはくれません。
ましてや、最初から「こいつのことなんか嫌い」「揚げ足とってやろう」と思っている相手には、どうしようもない。

医療に関しては、ある意味「イヤでも訊かないわけにはいかない」という状況になることも多いんですよ。
でも、ブログでのバッシングというのは、「お気軽に叩いて快哉を叩くだけ」で立ち去っても、何も困らない。

僕だって、いろんなものを読み飛ばして誤解することは多いので、あまり偉そうなことは言えませんが、それでも、「苦手な人のブログ」を読むときはいつも、「先入観を持たないように」自分に言い聞かせています。

専門的な知識の話ならば、「理解しようとしてもできない」のはしょうがないけど、今回のエントリで「自分は最初から理解するつもりがない」のに、「伝わらないのは相手のせいだ」と言い切れるような人々が、「コミュニケーション」について知ったようなことを語っているのは、なんだかなあ、と思う。
「ガツンと言ってやった」っていう言い回しは「なんじゃそりゃ」かもしれないけどさ。

相手が理解できない理屈をふりかざす人間が多すぎる。

たしかに、そうかもしれません。
でも、少なくとも今回のハックルベリーさんのエントリに関しては、叩いていた人たちの多くも、素直に読めば「何が書いてあるのかは理解できる」はず。もちろん、内容への賛否は別として。
そういうのって、結局、他人のせいにして自分の可能性を狭めているだけなんじゃないかな。
まず、自分から「訊いて」みようよ。そうしないと、たぶん、何も変わらないから。

アクセスカウンター