琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

弱者の居場所がない社会 ☆☆☆☆


弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂 (講談社現代新書)

弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂 (講談社現代新書)

内容(「BOOK」データベースより)
これらの「小さな社会」は、人が他者とつながり、お互いの存在価値を認め、そこにいるのが当然であると認められた場所である。これが「包摂されること」であり、社会に包摂されることは、衣食住やその他もろもろの生活水準の保障のためだけに大切なのではなく、包摂されること自体が人間にとって非常に重要となる。「つながり」「役割」「居場所」から考える貧困問題の新しい入門書。

『子どもの貧困』の阿部彩さんが、大人も含めての「いまの貧困問題」について書かれた新書。
まさに「貧困問題の入門書」です。


この新書のなかで、イギリスのノッティンガム大学医学部の社会疫学者リチャード・ウィルキンソン教授が2005年に発表した『格差社会の衝撃』という著作の内容を紹介しているところがとくに印象的でした。

 ウィルキンソン著作が衝撃的であるのは、「格差」が大きい社会に住むことは、誰にとっても悪影響を及ぼしていると論じている点である。彼は、「格差が大きいことが、「格差」の底辺の人、すなわち貧困や社会的排除の状態にある人々が多いことを意味するから問題であると言っているのではない。「格差」が大きいということ、そのこと自体が、社会にとって望ましくないという指摘をしているのである。
 格差が大きい国や地域に住むと、格差の下方に転落することによる心理的打撃が大きく、格差の上の方に存在する人々は自分の社会的地位を守ろうと躍起になり、格差の下の方に存在する人は強い劣等感や自己肯定感の低下を感じることになる。人々は攻撃的になり、信頼感が損なわれ、差別が助長され、コミュニティや社会のつながりは弱くなる。強いストレスにさらされ続けた人々は、その結果として健康を害したり、死亡率さえも高くなったりする。これらの影響は、社会の底辺の人々のみならず、社会のどの階層の人々にも及ぶ。これが、格差極悪論の要約である。
 疫学、社会政策学、経済学、社会学、福祉学など、さまざまな分野の研究者によって、ウィルキンソンのこの主張を裏付ける研究が続々と蓄積されつつある。
 くどいようだが誤解を招かぬように補足すると、ウィルキンソンは「貧困」があるから、すなわち、社会の底辺の人々、排除されつつあるような人々がいるから、社会の上層部の人々までも害を被る、と言っているわけではない。ウィルキンソンが問題としているのは、「格差」の存在なのである。人々を「上」や「下」の段階にランク付けするシステムの仕組みを問題としているのである。

ウィルキンソンさん、そして阿部さんは、「所得格差の大きな地域、国ほど人々は互いに信用しない」「殺人は格差の大きい国ほどより一般的である」「格差の大きな国の子どもほど、衝突を抱えやすい」など、さまざまな「格差社会のデメリット」を指摘しています。
率直に言うと、「格差」とは何か?というのはかなり曖昧な概念でもあり、僕はこの統計結果が本当に「格差の存在」に基づくものなのか、疑問ではあるのです。
(間違っている、というわけではないんです。どうも実感できない、納得しきれない、という意味です)


ちなみに、「ウィルキンソンさんの著書では、日本は、格差大陸アメリカの対極にある平等な国として取り上げられている」そうです。
阿部さんは「ウィルキンソンが使用しているデータは1980年代のものであり、いまの日本では、格差が拡大し続けいてる」と指摘していますが。


あと、この新書のなかで印象的だったのは、東日本大震災後の「復興」についての項で、阪神淡路大震災後に神戸新聞が行ったアンケート結果でした。
神戸新聞は、震災後2年、5年、9年に被害が大きかった、東灘・深江地区、須磨・千歳地区)の被災者にアンケートを行ったそうです。
(著者は、「このような追跡調査の常として、よりしんどい状況にある人のほうが調査に答えてくれる傾向があるが」と注釈しています)

 それにしても、愕然とするのは、2年後よりもむしろ5年後、9年後の方が震災前と比べて収入が減ったと答えた人が多いことである。
 震災後5年、9年と言えば、被災していない、たとえば筆者のような人間にとって、震災は、遠い記憶となりつつある頃であった。
 しかし、少なくとも一部の被災者の方々の生活は、悪化していたのである。
 この理由としては、被災者の救済のために震災後に設けられたさまざまな政府系の融資の返済時期がきたことや、住宅再建や事業再開のための借金の負担、失業などが、被災者に二次的、三次的な経済インパクトとして訪れるからと分析されている。
 無事に生活や事業の再建の道を歩んでいた人もいるであろうが、すべての人がそうであるわけではなく、そうでない人々は、この二次的、三次的な経済インパクトを、どこからの支援もなしに、かぶらなくてはならなかったのである。

 周囲が「忘れてしまった頃」に、新たな危機はやってくる。
 これを読んで、大きな災害の影響というのは、その瞬間や直後だけでなく、長いあいだ続いていくのだなあ、ということをあらためて思い知らされました。
 おそらく、東日本大震災でも、同じことが起こるはずです。
「忘れない」ことはすごく大事で、そして、難しいことなんだよなあ。



「格差をなくす」のは、貧困層を助けるためだけではなく、安定した社会をつくるためなのです。
映画『三丁目の夕日』の時代を、なぜみんなあんなに懐かしむのか、少し理解できた気がしました。
1960〜70年代の日本は、経済的に「比較的平等」で、みんなすごく豊かではなかったけれど、たしかに、現在よりも多くの人が「未来はもっと良くなる」と希望をもっていたんですよね。
「東京タワー」ができたから、じゃないんですよ、考えてみれば当たり前のことなんだけど。

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