琥珀色の戯言

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【読書感想】未来の働き方を考えよう ☆☆☆☆


未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる

未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる

内容紹介
IT化やグローバリゼーション、人生の長期化により、私たちの社会は、今、猛スピードで変化しています。
これからの10年を、楽しくワクワク生き抜くためには、私たちに必要なものはいったい何なのでしょうか? 働き方はどう変化し、私たちはどのように対応すべきなのでしょう?
月間200万PVを誇る人気ブロガーのちきりん氏が、これから起こりうる変化を読み解き、未来の働き方を提案します。


〈序章〉 ”働き方本”ブームが示すモノ
〈第一章〉現状維持の先にある未来
〈第二章〉世界を変える3つの革命的変化
〈第三章〉新しい働き方を模索する若者たち
〈第四章〉「ふたつの人生を生きる」
〈第五章〉求められる発想の転換
〈終章〉 オリジナル人生を設計するために


「人生は二回、生きられる」か……
ちょうど著者が唱えている「二回目の人生への転換の時期」である40代前半の僕にとっては、いろいろと考えさせられる内容でした。
最近「これからの働きかた」についての本が目立っている印象があって(この本のなかでも検証されています)、少なくとも「終身雇用」が崩壊してきて、いままでの働きかたが変わってきていることは、間違いないでしょう。


いまの日本、これからしばらくの日本では、80歳、あるいは90歳まで生きる人は多いけれど、老後への不安もつのる一方です。
この本を読んでいて印象的だったのは、著者が「これからの世の中では、長寿はリスクを伴うのだ」ということを切実に考えていることでした。
100歳の親を、70歳の子が「介護」していたり、ひとりの子どもが二人の親を介護しなければならなかったり……
それはもうすでに「ありふれた悲劇」になっていますしね。


そして、著者は「事前に準備することの限界」も述べています。
いくつまで生きられるかなんてわからないのだから、いくら貯蓄があれば老後も安心だなんて、考えていてもキリがないんですよね、たしかに。
だからといって、みんながあまりにも「キリギリス的生活」をして、定年後は公的扶助に頼ろうとする世の中になれば、日本は経済的に破綻してしまいそうな気もするのですが。
世の中で言われているような「3000万円あれば老後も安心」みたいなのは、まあ、あんまりアテにはならないだろうな、とは思います。
それが「平均値」であれば、半分くらいの人は「それでは足りない」わけですし。

 結局のところ、自分のお金で死ぬまで(経済的に)困らない人というのは、少々年収が高いとか、ちゃんと貯金をしていたとか、家のローンが終わっていたなどという人ではなく、寿命の短い人なんです。


お金における「老後の備え幻想」もそうなのですが、僕が考えさせられたのは「すべてを『老後の愉しみ』にしてしまうのは、人生においてプラスなのだろうか?」ということでした。

「若いときは必至で働き、遊ぶのは定年後にすべし」と考える人には受け入れられないかもしれませんが、世界放浪にしてもマリンスポーツや山登りにしても、できるなら定年後ではなく、体力があり感受性も強い20〜30代の時に楽しめたほうがよほどいいでしょう。


(中略)


 セブ島の英語学校に来ていた大学4年生が、「就職したらもう休めないから、卒業まではひたすらダラダラしてすごしたい」と言うので、「20代のくせに、1970年代の日本人みたいなことを言うのね」とからかったのですが、今までの日本人はまさに「就職したら、次の長期休暇は定年後」と覚悟していました。一部の企業ではいまだに、長期休暇が取れるのは家族が死んだ時と新婚旅行の時だけ、と言われるほどです。

ある程度年をとって思うのは、「ああ、学生時代の自分に、いまの自分から仕送りしてやりたいなあ」なんてことなんですよ。
今だってお金が有り余っているわけではありませんが、あの頃は、もっと時間があったのだから。
もちろん、働かせる側だって、若い人のほうが体力はあるし給料は安いしで、メリットが多いのかもしれませんけどね。
マチュ・ピチュの遺跡に歳を取ってから行くのは大変でしょうし、富士山だって、高齢になってから登るのは、そんなに簡単ではありませんし。
旅行にかぎらず、将棋を研究するのも、趣味のブログを開設するのも、若いころからの方が良いはず。


もうひとつ、とくに身につまされたのは、「生きるための必要なコスト」=「支出」について考えているところでした。
著者は「ミニマムに暮らすという選択」を紹介しています。

 おおざっぱに言って、私たちが一生に必要な費用は次の4つです。
(1)基礎生活費
(2)住宅購入費
(3)育児、教育費
(4)老後費用


 それぞれどの程度の額が必要かは人によって異なるのですが、生涯年収が数億円(一生の間に使う額の合計が数億円)とすれば、1〜4のそれぞれに数千万円ずつ使うのが一般的な人のお金の使い方です。しかし、ミニマムに暮らしたいと考える人たちには、このうち2と3が最初から不要です。それはつまり、人生において1から4までのすべてが必要な人の、半分ほど稼げば(=約半分の年数だけ働けば)生きていけるということです。

 住宅はずっと借家住まいにすることによってかなりのお金が浮くし、1が安い人は、4も必要な額は低くなります。
「急な病気のとき」のために、100万円くらい貯蓄しておけば、ある程度の金額以上は、高額医療制度もある。
 「そういうシステムが存在すること」を知っていて、申請する手間を惜しまなければ、日本では、「道端に放り出されて飢え死に」ということは、まず無いんですよね。

 そういうふうに「必要なお金」を削っていけば、そんなに稼がなくても、あるいは、そんなにずっと働かなくても、十分、生きていけるのです。

 最近は低所得者層より、中の上に分類される家庭のほうが、老後の収支が厳しくなるとも言われています。収入が伸びない中、すでに支出を身の丈に合わせている低所得者層と異なり、中の上家庭はまだ夢を捨てきれず、「周りがやっていることはうちもやる」という横並び意識から逃れられていないからでしょう。

 ああ、これってまさに、うちのことだな……


 いわゆる「ビジネス書」や「自己啓発本」では、「収入をふやす」ことばかりが重視されているようなのですが、それよりも「ムダづかいを減らして生きる」ほうが、はるかに簡単だし、効果も確実なんですよね。
 まあ、現実的には、僕の場合はすでに家族もいますし、「ミニマム」は難しいのですが(そう断言してしまう時点で、あまり反省の色がない……)、「生きるためのコストを下げる」ことは、意識すべきなのかもしれません。

 今までは、一生懸命働き、よりたくさん稼いで、より豊かな生活を目指すことが一種の”常識”でした。しかしこれからは、必要生活費をできるだけ抑え、働く期間を最短化するという逆転の発想で人生を設計することも、ひとつの選択肢となりえます。方法論としては、若い頃にまとめて働いたうえで早期引退を目指す、最初から生活費をミニマムにし、短期のアルバイトだけで食べていくことを目指す、もしくは生活費がより安い国に移住して、さらに少ないコストで食べていこうとするなど、様々なバリエーションがありえます。それらをすべて合わせ、働く時間をできる限り少なくしようという人は、これから確実に増えていくことでしょう。

医療の世界でも、そういう働きかたをする人が、少しずつ出てきているのです。
仕事の性格上、病院を離れられない場合も多いのですが、科によっては、フリーで特殊な手技をやりにいろんな病院に行ったり、自宅やリゾート先で、メールで送られてきた画像を診断して生活をしている人もいます。
医療業界すら、変わってきているのです。
(もっとも、「旧態依然としたところ」も、たくさんあるんですけどね……)

 そんな中、私が提案したいのは、最初から「職業人生は二回ある」という発想をすることです。「みんな、一生の間にふたつの異なる働き方を選べるものだと考えようよ!」という勧めです。
 従来の働き方は。20代で就職した後65歳まで42年間働き(もしくは70歳まで47年間働き)、定年後は寿命まで余生を楽しむというものでした。しかし今後は、職業生活をふたつに分け、職業も二回選び、前半と後半で異なる働き方をするのだと、考えるのです。
 具体的には、働く期間を20代から40代後半までの前期職業人生と、40代後半以降の後期職業人生に分けます。今40代の人は「さて、いよいよこれから、新たに職業を選びなおす時期だ!」=「二回目の就活タイミングがやってきた!」と考えればいいし、今20代の人は最初から、「今は二回あるうちの、最初の就活をしているのだ」と考えればよいのです。今30代なら、10年後にどんな働き方を選ぶのか、あれこれ夢想するのも楽しいでしょう。
 この、「一生の間に、2パターンの職業人生をおくる」という考え方は、寿命が延びる中で正解の見えない時代を生きる人にとって、様々なメリットがある、とてもいい案だと私は考えています。

実際、そんなに「転職」とかできるものじゃないとは思うんですよ。
僕はマッキンゼー出身でも、人気ブログを書く才能があるわけでもないので。
(ちなみに著者は、ブログが有名になったり、著書が売れたりする前から、仕事を辞めることは決めていたそうです。後半生は、フリーターとして最小限必要な収入を得て暮らしてもいい、と考えておられたのだとか)
転職体験者の話を聞いたり、経験談を読んだりすると、収入が上がる人よりも、収入が下がる人の方がはるかに多く、労働環境も厳しくなりがちなようです。
でも、この本を読んでいると、たしかに、40歳くらいというのは、自分なりの「働きかたのスタンス」や「自分の向き不向き」みたいなものが見えてくる時期だよなあ、と思うのです。
仕事を変えるのは難しいかもしれないけれど、このくらいの年齢になると、いまの仕事で自分の手に届く範囲って、わかってきますしね。
教授とか社長になれる人は、ごくひとにぎり。
「そんなに偉くなれそうもなく、偉くなって他人を使うような仕事に自分が向いているとも思えないのに、見栄をはって、休みもなく働いて、数少ない休日は一日中寝ているような生活」を、ずっと続ける必要があるのだろうか?
結局のところ、自分で「軌道修正」をしなければ、「そんなに頑張らないで、自分の時間を大切にしたらいいよ」って、会社が言ってくれるわけがないんですよね。


同じ会社で、同じ仕事をしていても、仕事と自分の時間の配分を変えることはできるはずです。
医者の世界でいえば、みんなが「開業」したり、「大きな病院でポストを得る」ような生きかたをする必要もない。
「同僚の視線」とか「見栄」みたいなものをリセットして考えてみれば、もっと「自分に向いたやりかた」が見えてくるはず。
偉くなること、より重い責任を負うことに喜びを感じる人ばかりではないはずなのに、「充実したキャリアのひな型」を、つい追いかけて、自分に向いていないことをやり続けてしまう。
仕事が終わったらすぐに帰ったところで、3か月もすれば、みんな「あの人はそういう人なんだ」と思うだけのことなのに。
いまの20代、30代なら、むしろ「上司が帰ってくれたほうがありがたい」かもしれません。


著者が勧める「働きかた」は、万人向けのものではありません。
RPGでも「転職」できるのは、ある程度レベルが上がったキャラクターだけのことが多いし。
でも、一度しかない人生を自分のものとして考えたときに、「誰かが決めた働き方」に流されてばかりで、ようやく自分の時間ができたと思ったら病院のベッドの上、ではあまりにも悲しい。
これから働こうという20代くらいの人、そして、このまま働くことに何か不安と不満を感じている40代の人は、ぜひ一度読んでみてください。
書いてあることを真似することは難しくても、考えてみるきっかけにはなる本だから。

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