琥珀色の戯言

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【読書感想】アメリカ下層教育現場 ☆☆☆☆


アメリカ下層教育現場 (光文社新書)

アメリカ下層教育現場 (光文社新書)


Kindle版もあります。僕はこちらで読みました。

アメリカ下層教育現場 (光文社新書)

アメリカ下層教育現場 (光文社新書)

内容(「BOOK」データベースより)
アメリカ在住ノンフィクションライターである著者は、恩師に頼み込まれ、高校の教壇に立つことになった。担当科目は「JAPANESE CULTURE(日本文化)」。前任者は、生徒たちのあまりのレベルの低さに愕然とし、1カ月も経たないうちに逃げ出していた。そこは、市内で最も学力の低い子供たちが集まる学校だった。赴任第1日目、著者が目にした光景は、予想を遙かに超えていた。貧困、崩壊家庭と、絶望的環境のなかで希望を見出せない子供たちに、著者は全力で向かい合っていくが…。子を持つ全ての親、教育関係者必読のノンフィクション。


アメリカ在住のノンフィクションライターである著者による「アメリカ・ネヴァダ洲リノのチャータースクールでの、『先生』体験記」です。
紙の新書は、2008年1月に刊行され、2014年にKindle版になっています。
著者は教員免許を持った、教育のプロというわけではなく、そこで働いているお世話になった人に頼み込まれ、この「最下層の子供たちが通う学校での先生」を引き受けるのです。
(ちなみに、このチャータースクールというのは、教員免許を必要としないそうです)


あくまでも「ひとりのアメリカ在住日本人の体験記」なので、これがアメリカの教育現場のすべて、というわけではないと思うのですが、「視察」や「取材」ではなく、実際に「先生」として飛び込んでの体験記なので、現場での実感にあふれた内容になっています。


ネヴァダ州リノは、人口38万人で、カジノを主産業としている街で、白人以外の「マイノリティ」が多く住んでいる地域です。

 我々が出会った高校の名を、レインシャドウ・コミュニティ・チャーター・ハイスクールといった。リノ市内で最も学力の低い子供たちが集まる高校である。働き始めるまで私は「チャーター・スクール」という語を耳にした事がなかった。公立校には違いないのだが、正規の学校とも異なっていた。
 1992年、ミネソタ州に全米初のチャーター・スクールが創立される。一クラスに教師1人、学生40人では目が行き届かない。生徒を20名くらいの少人数にして、より深い絆を作ろうというのが狙いだった。当時、『ニューヨーク・タイムズ』紙が「荒廃する公立校を避ける親たちの解決策」と紹介し、注目を集めている。
 だが、10年以上が経過した今、チャーター・スクールは一般の公立校より水準が低く、劣等生の集団に過ぎないのが現状だ。
 リノ市内には16の公立高校がある。それに対して、地域が営む6つのチャーター・スクールが存在する。チャーター・スクールにやって来るのは、中学時代の成績が悪過ぎたり、一度は公立校に入学したものの辞めざるを得なくなったという類の学生だ。入学しても、およそ半数が中退してしまうとのことだった。生徒を何とか登校させるために、学校側は様々な工夫を凝らした。
「FOOD」という科目を設けて、全員でクッキーやケーキを焼いて食べたり、「ACTING」として、演ずることを学ばせてみたり。私が担当した「JAPANESE CULTURE(日本文化)」のクラスも特別枠の一つだった。

 数分後、私は赴任第1日目だというのに、怒鳴り声を上げねばならなかった。
「お前ら、黒板に向かって横一列に並んで座れ!!」
 スクリーンを目にした生徒たちの集中力は、3分ともたなかったのだ。
「トイレに行きたい」と数人が立ち上がる。ポケットからMP3プレイヤーを取り出して聴き始める者、何も告げずに教室から出て行く者、眠り出す者、クラスメイトの髪を熱心に梳かし始める女子学生、ハッキー・サック(小さな布の玉を地面に落とさないように蹴りあう遊び)に夢中になり出す男子5人、UNOを机の上に並べる女子3名……と、目を疑う光景が広がっていった。子供たちの倫理観は、私の予想を遥かに超えていた。


わずか3分で、これか……
著者の体験談を読んでいると、「アメリカの学校教育は、とくに『下層』では荒廃しているなあ……なんて考えてしまうのですが、この新書によると、日本でも「底辺校」は、同じような感じなのかもしれません。
ただ、日本に比べると、アメリカのチャーター・スクールのほうが「とにかく学校に生徒を来させたい」と考えているようには感じました。
とはいえ、家庭環境やドラッグ、アルコールなどの問題を抱えている生徒は「やむなく切り捨てざるをえない」のもまた、現実ではあるのです。
著者は、まさに「体当たり」で、相撲やボクシング、あるいは日本のアニメなどをきっかけにして、生徒たちにぶつかっていきます。
正直、「そんなに給料が良いわけでもないみたいだし、よくこんなに頑張ったものだなあ」と感心せずにはいられませんでした。
おかげで、生徒たちのなかにも、著者に心を開いて、学校や「学ぶこと」に興味を持つ者が出てきたのです。
著者もこの仕事にやりがいを感じていたそうなのですが、結局、ある事情で、この教師生活は頓挫してしまうことになります。


21世紀になっても、すべての人が「人種的偏見」から解放されたわけではありません。
著者の「子供たちに、学ぶことで人生を切り開いていってもらいたい」という願いには「マイノリティとしての共感」もあるのかな、と。
それと、ボクシングをやっていた著者は、精神的にも肉体的にもタフな人だったからこそ、この環境で生徒に舐められることがなかったのかもしれません。
もちろん、「アメリカの教育現場では、日本以上に体罰は厳禁」なのですけど。


著者は、チャーター・スクールを退職後「ユース・メンターリング」に参加します。
これは「親でも教師でもない第三者の大人(ボランティア)が、週に1回、何らかの問題を抱える子供と1対1の時間を共有する」という活動で、100年以上の歴史をもっています。
たった週に1回、短時間でも「自分のことを気にかけて、話し相手になってくれる大人がいる」というだけで、子供に少なからず良い影響を与えることが多いのだそうです。
そのプログラムに参加するための事前面接で、事務局の担当者と、こんなやりとりがあったそうです。

「小学生ですから、毎週ランチを食べて昼休みを一緒に過ごしていただきたいのですが」
「分かりました」
 面接の最後に告げられたのは、「あなたには、マイノリティー(有色人種)の小学生を担当してもらいます」という一言だった。
 同団体が100年以上行ってきた過去の例から、白人の子供にマイノリティーの大人、マイノリティーの子供に白人の大人という組み合わせは絶対に上手くいかないと説明された。

「絶対に」なの?と言い返したくなるところなのですが、アメリカという国の歴史から考えると、差別はよくないからと、ランダムに組み合わせてみたこともあったのではないかと思われます。
その結果として、「うまくいかなかった」ということなのでしょうね……
「差別的」だと思うけれども、「子供の教育」ということを考えると「うまくいかないマッチングを『社会正義』のために子供に押しつけるわけにはいかない」のもわかります。
子供だったら、受け容れてくれるはずではないか……などと、僕は考えてしまうのですが、なぜなんでしょうね……

 アメリカ教職員組合の調査によると、この国では新人教師のおよそ半数が5年以内に退職しているという。理想と現実の差に苦しみ、または労働条件や給料に満足できず、辞するのだ。
 レインシャドウ・コミュニティ・チャーター・スクールに入ってくるのは、若くして人生に挫折してしまった子供たちが圧倒的だ。彼らを如何に再生させるかが、我々の務めであった筈だ。が、教師も学校も合衆国社会も、落ちこぼれてしまった子供たちにセカンド・チャンスを与える術を持たない。今後も教育格差は決して埋まらないだろう。
 私の生徒たちは全員が、「行きていく為には、どうしても高校の卒業証書が必要だ」と、心の底では理解していた。さらにアメリカ合衆国において、大卒者の生涯平均所得がおよそ250万ドルであるのに対し、高卒者は140万ドルだという知識もあった。けれど、生きるうえでのビジョンを見付けられないのだった。


この本を読んでいると、いまの日本の教育というのは、確実にアメリカの後を追っていっているのではないか?という気がしてくるのです。
「生徒が銃をもっていないだけ、日本のほうがマシ」だというのは、あんまり自慢にはならないですよね……



こちらは日本の「底辺高校」の実態を紹介した新書。

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)


Kindle版もあります。

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