2ch、発言小町、はてな、ヤフトピ ネット釣り師が人々をとりこにする手口はこんなに凄い (アスキー新書)
- 作者: Hagex
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2014/04/10
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
2ch、発言小町、はてな、ヤフトピ ネット釣り師が人々をとりこにする手口はこんなに凄い ネットで人々をとりこにする40の手口 (アスキー新書)
- 作者: Hagex
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2014/04/10
- メディア: Kindle版
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内容紹介
「育児をする気がないから子供を預かってほしい」「妻がラブホの前で見知らぬ男性といた」――誰もがネット掲示板などで読んだことがある衝撃的な体験だ。
そんな書き込みに読者は憤り、共感し、そしてアドバイスをする。でも、そんな書き込みが、実は読者をダマして楽しんでいる、いわゆる「ネット釣り師」の創作だったら――。
日常に潜むちょっとしたことに、時事ネタ、社会倫理、生理的嫌悪感など、あらゆる要素を加味し、トライ&エラーの繰り返しで、日々先鋭化するネット釣り師達のスキル。
悪用すれば世論も動かすこともある!? しかし、これらの投稿を見破る手段は存在した!
10年以上「釣り投稿」を観察している人気ブロガーHagexによる、ネット釣り師の全手口を解説する渾身の1冊! 全ネットユーザー必読!
この新書、けっこう軽い気持ちというか、ちょっとした時間つぶしのような感じで、手にとった(というか、kindle版をダウンロードした)のです。
まあ、ありがちな、ネットリテラシーを初心者に「啓蒙」するような本なんだろうな、って。
こんな見え透いた「釣り」なんかに騙されるヤツは馬鹿だから、気をつけろよ、みたいな。
ところが、読み始めてみると、なんだか、矢口高雄先生の名作『釣りキチ三平』を読んでいるような気分になってきました。
ああ、これは『釣り師』も、hagexさんのような『釣り師ハンター』も、本気の世界なんだな、と。
生半可な気持ちでは、多くの人を「釣る」ことなんてできないし、「釣り」を見破ることもできないのです。
こんなに奥が深い世界だったのか……と感心するばかりでした。
インターネット上には「釣り師」と呼ばれる人間がいる。
多くの釣り師たちは、金銭的な見返りもないのにもかかわらず、時間をかけてエピソードを創作し、文章を整え、「2ちゃんねる」「発言小町」「はてな匿名ダイアリー」といった掲示板に投稿する。読者からの反応があれば丁寧に応対し、数日、ときには数ヶ月にわたって投稿していく。読者たちは釣り師が作るエピソードの続きが気になり、毎日何度も掲示板にアクセスしてしまう。
この本は、そんな釣り師たちが投稿する創作エピソードを見破るための技術について記している。なぜ見破る必要があるか?
理由はふたつある。
その理由のひとつは「ネットリテラシー強化のためのトレーニング」、そしてふたつめは「掲示板やWebサービスに投稿された文章の裏を推測することによって、より情報を多角的に楽しむことができる」というものです。
まあでも実際のところ「ネットリテラシーの訓練」として「釣り判定」をしているような真面目な人はあまりいないのではないかと思うのです。
「騙されると悔しい」とか「釣ろうとしている相手の裏をかく面白さ」みたいなものが、「釣り師ハンター」の主な動機になるのではないか、と思われます。
ただし、「釣り師」の数に比べて、「釣り師ハンター」は圧倒的に数が少ないようです。
hagexさんの「釣り判定」は、非常にロジカルなものです。
ちなみに、釣り文章を見抜く方法には、今から紹介する「マクロ」視点のものと、文章自体を細かく文節単位で検討する「ミクロ」視点のものがある。
この章で書かれているマクロ視点の判別では、文章の全体をみて隠れたコンセプトを見抜く。
次章で取り上げるミクロ視点の判別では、文章を詳細に調べることで釣りかどうかチェックする。つまり、文章の句読点の打ち方や表記をみて判断していくのだ。こういった、文章の要素や表現だけをみるテクニックは、頭を使わなくても自動的に判断できるので、「偏見」や「思い込み」に影響を受けないというメリットがある。しかし、釣り師がその裏をかいた文章を作れば、途端に釣りか否かわからなくなるという欠点がある。そのため、この章で紹介する「マクロ視点」での判断方法を身につけておくのは非常に重要なのである。
マクロ視点を使った釣りの見抜き方は単純明快だ。「これがもし創作文章で読み手を騙したいのであれば、その目的はなんだろう」と考えるのである。
この本では、実例をあげて「釣り判定」の詳細が紹介されています。
「釣り」に使われやすいテーマ表とか(この表をみると、「話題になりやすいテーマというのは、ことごとく「釣りに使われやすい」ということがわかります)、「読み手の興味を引くための『フック』を見破る」とか、「自分が釣り師だったら、どう釣るか?」という観点からのアプローチには唸らされます。
釣りの鑑定をする際に、例えば「建築業の夫が急に帰ってきて」というフレーズがあれば、建築業の人のブログや「Twitter」を探して、ライフスタイルを確認する。本当にこの時間で帰宅できるのかをチェックする。
また建築業特有の知識や癖、収入なども調べて、エピソードに出てくる人物になりきって読んでいくのである。付け焼き刃で、初歩的な知識がないため判断を誤る危険性もあるが、読み手が「釣り師の限界を破って想像」するのである。
「釣り判定」のために、そこまでやっているのか……
簡単な質問にたいして、「そのくらい、まずGoogleで調べろよ……」と言いたくなることって、少なくないですよね。
実際は、「ちょっと検索する」だけでも、手間だと感じていたり、「自分で検索するという発想が無い」人もいるのです。
この「ひと手間」を積み重ねていかないと、「釣り判定」はできない。
「文章の癖をみる」というのも、かなり地道な作業ですし。
答えを相手が教えてくれるわけでもないし、見返りもほとんど期待できない「釣り師ハンター」には、成り手が少ないというのも、わかるような気がするなあ。
みんな、騙されるのは嫌いだけど、めんどくさいことは、もっとイヤなんだよね(僕もそうです)。
「Exif」という画像の撮影データを利用しての「釣り判定」も紹介されていて、「こんな方法もあるのか!」と驚かされました。
この新書の巻末には、著者のhagexさんと、「釣り師」から、「釣り師ハンター」にクラスチェンジ(?)されたトピシュさんの対談が掲載されているのですが、そのなかで、トピシュさんは、こんなことをおっしゃっています。
トピシュ「釣り師になるのは「ネガティブな気持ち」が最初に必要だと思います(笑)。ネガティブさがないと、まずできません。相手を釣りたい、相手を騙したいという発想が出てこない。単なる承認欲求を満たすことが目的なら、それって健全な人間だったら釣りには行かないはずじゃないですか。本来ならその承認欲求のエネルギーで小説を執筆して入選したいとか、ブログを書いてアルファブロガー目指すとかできるわけです。しかし、その強力なパワーをあえて釣りにしているというのは、ネガティブな気持ちがすごく強くないと始められないし、続けられないと思います。
確かに「釣り師であり続けること」には、すごく忍耐力が要りそうです。
どんなに爆釣でも、(一部の「職業的釣り師」意外は)お金にも名声にもつながりません。
自分が叩かれる覚悟があれば「炎上ブロガー」のほうが、まだ見返りは大きいのではないかと思いますし。
そういう意味では、「釣り師」って、ある意味、インターネット時代のアウトサイダー・アーティストであり、ヘンリー・ダーガーの後継者たちなのかもしれません。
孤独死した男の部屋のパソコンから、いくつもの伝説の釣りトピックの原稿が……みたいな話が、そのうち出てくるのではないかなあ。
ちょっとネットずれしてくると、僕みたいに「ああ、これ『釣り』なんじゃない?」などと内心わかったような気分になったり、「そんなに『釣り』かどうかばっかり気にしていては、ネットの面白さも半減しちゃうんじゃない?」なんて、ちょっと斜に構えてみたりもしがちです。
実際、どんなに「釣り判定」に習熟しても、ネットの書き込みの真贋を100%判定することができるとは思えません。
こういう新書が出ることによって「釣り師」もまた、「釣り師ハンター」のことを分析し、進化していくはずですし。
いまのネット社会のなかで、もっとも「リテラシー」が高そうな人のひとりである佐々木俊尚さんも、『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』という新書のなかで、こう仰っています。
そもそも私たちは、情報のノイズの海に真っ向から向き合うことはできません。
1995年にインターネットが社会に普及しはじめたころ、「これからは情報の真贋をみきわめるのが、重要なメディアリテラシーになる」といったことがさかんに言われました。マスメディアが情報を絞っていた時代にくらべれば、情報の量は数百倍か数千倍、ひょっとしたらもっと多くなっているかもしれません。その膨大な情報のノイズの海の中には、正しい情報も間違った情報も混在している。これまでは新聞やテレビが「これが正しい情報ですよ」とある程度はフィルタリングしていたので、まあそれをおおむね信じていれば良かった。もちろん中には誤報とか捏造とかもあるわけですが、しかし情報の正確さの確率からいえば、「正確率99パーセント」ぐらいの世界であって、間違っている情報はほとんどないと信じても大丈夫だったわけです。
ところがネットにはそういうフィルタリングシステムがないので、自分で情報の真贋をみきわめなければならなくなった。だから「ネット時代には情報の真贋を自分でチェックできるリテラシーを」と言われるようになったわけです。
正直に告白すれば私も過去にそういうことを雑誌の原稿や書籍などで書いたこともありました。しかしネットの普及から15年が経ってふと気づいてみると、とうていそんな「真贋をみきわめる」能力なんて身についていない。
それどころか逆に、そもそもそんなことは不可能だ、ということに気づいたというのが現状です。
考えてもみてください。
すでにある一次情報をもとにして何かの論考をしているブログだったら、「その論理展開は変だ」「ロジックが間違っている」という指摘はできます。たとえば「日本で自殺者が増えているのは、大企業が社員を使い捨てしているからだ」とかいうエントリーがあれば、自殺増加の原因についていろんな議論ができるでしょう。でもそういう議論をするためには、書かれている一次情報が事実だという共通の認識が前提として必要になってくる。つまり「自殺者が増えている」という所与の事実を前提としてみんな議論をしているわけです。
逆に、だれにも検証できないような一次情報が書かれている場合、それってどう判断すればよいのか。たとえば、小沢一郎を起訴に持ち込むために検察のトップと民主党の某幹部が密談していた」とか書かれていた場合、それを検証することなど普通の人間にとってはほぼ100パーセント不可能です。新聞社の敏腕記者だってウラ取りするのはかなり容易ではない。
だから「真贋をみきわめる」という能力は、そもそもだれにも育まれようがないというのがごくあたりまえの結論だったわけです。
でも一方で、もしその「検察トップと民主党の某幹部の密談」というのが政治ジャーナリストとして著名な上杉隆さんや田原総一朗さんの署名記事に書かれていたらどうでしょう。「これは本当かもしれない」と多くの人は信頼に足る記事だ、と捉えるのではないでしょうか。
なぜかといえば簡単なことで、過去に上杉さんや田原さんが書いてきた記事が信頼に足ることが多かったからです。
つまり「事実の真贋をみきわめること」は難しいけれども、それにくらべれば「人の信頼をみきわめること」の方ははるかに容易であるということなのです。
この新書も、読めば読むほど「釣り判定って、そんな簡単なものじゃないんだな」って思えてくるんですよね。
すぐに引っかかってしまう人は困ったものではあるのかもしれませんが、自分のちょっとした印象だけで「これは釣り!」って言ってしまう人も、似たようなもの、ではあるのです。
「自分は絶対に他人に騙されない」と確信している人ほど、より深刻な形で騙されてしまうことがあります。
ところで、この新書を読んでいてちょっと困ったのは、「ああ、僕もちょっと釣ってみたい!」って気分になったきたことです。
正直「釣り師ハンター」よりも、「釣り師」のほうが面白そうなんだよね……
キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
- 作者: 佐々木俊尚
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2011/02/09
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