- 作者: 佐々木健一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2017/01/18
- メディア: 単行本
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Kindle版もあります。
- 作者: 佐々木健一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2017/01/27
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内容紹介
「28」は愚直なまでに自分を貫き、マウンドを去った。「11」はジンクスに抗い、ボロボロになるまで投げた。「1」は一番になれないまま、自ら消えることを選んだ。「19」はこの数字に賭け、波乱の人生を駆けた……。球史に埋もれていた選手たちの物語が、今ここに甦る! NHKの番組ディレクターによる異色のドキュメント。
プロ野球選手の「背番号」に関する様々なエピソードを紹介したテレビ番組を書籍化したものです。
本書は、背番号という数字を巡る、男たちの数奇な人生を辿った物語である。
語られるのは、次の数字にまつわる話だ。
「28」「11」「20」「36」「41」「4」「14」「15」、そして「1」。
無作為に並べられたような、無機質な数字。
この数字たちが、これから綴られる物語の主人公だ。
告白しよう。もはや私は、今挙げた一つ一つを、ただの数字とは見ることができない。ある何かを帯びているように感じられてならないのだ。
例えば、「28」は“完全”、「11」は“誇り”、「20」は“裏切り”というように。
それぞれが、ある特別な意味を宿しているように感じられるのだ。
そこにあるのは、選手を識別しやすくするために割り振られた、単なる「数字」のはずなのに、その選手が活躍することにより、大きな「意味」が生まれてくるのです。
僕はけっこう長い間プロ野球をみてきましたのですが、この本のなかで選手本人が語っている背番号の話には、これまで僕が聞いてきたものとは異なるものが少なからずありました。
阪神の「31」は、掛布が身につけて以後、ファンの期待を集める番号へと生れ変わった。
その背番号についてファンの間では、
「掛布が敬愛する長嶋茂雄の『3』と王貞治の『1』を合わせたもの」
と、まことしやかに語られることがある。掛布本人も、
「(長嶋さんの)3番と王さんの1番である『31』は好きだったし、現役時代は31番にこだわった」(「週刊文春」1994年1月6日号)
と語っているが、実際には、ドラフト6位で入団した当初、球団から示された空き番号の中から最も若い数字を選んだに過ぎなかった。
この「長嶋さんの3番と王さんの1番を合わせたもの」という話を僕もずっと信じていたのですが、実際は入団時に提示された候補から一番若い番号を選んだのに、後付けで、こういう「意味」が語られるようになった、ということのようです。
ドラフト6位で入団した選手が、そんなに自由に番号を選ばせてもらえるとも思えませんし。
掛布選手が活躍したことによって、「31」という数字にも、新たな意味が生まれたのです。
記憶というのは、けっこう上書きされるものなのだな、と、この本を読んでいると思い知らされます。
連続試合出場の世界記録をつくった広島カープの「鉄人」衣笠祥雄選手は、カープファンの僕にとっては、背番号「3」だったんですよね。
「3」は、カープの永久欠番にもなっています。
強靭な鋼の肉体を持つ衣笠は、まさに“鉄人”の名にふさわしい選手だった。
しかし、その愛称はそもそも、衣笠がかつて着けていた背番号に由来する。
人々の記憶に残る衣笠の背番号「3」は、プロ11年目に一塁手から三塁手へコンバートされた時から背負った番号だった。
それまで衣笠は、入団から10年もの間、背番号「28」を着けていた。
鉄人という愛称も、元々は横山光輝の漫画『鉄人28号』にちなんで呼ばれたものだった。無類の強さを備えた選手の背番号と、有名漫画のタイトルが結びつき、鉄人という愛称で呼ばれるようになったのだ。
衣笠選手の「鉄人」は、連続試合出場を成し遂げた頑健な身体に対してではなく、以前の背番号に由来していたんですね。
僕が物心ついたときには、背番号「3」だったこともあり、この話は知りませんでした。
この本のなかで、いちばん印象に残ったのは、中継ぎエースとして活躍していた現役時代に肺がんで亡くなった、ダイエーホークスの背番号「15」、藤井将推選手のエピソードでした。
迎えた(2000年)10月7日。藤井は病室のテレビに釘付けになっていた。
ホークスの守護神、ペドロサが投げる。
「バッター打った、ショートゴロだ。つかんだ、一塁に送ってアウト! 福岡ダイエーホークス、リーグ優勝、V2達成です!」
スタジアムが揺れ、大歓声が響き渡る。
静かな病室で歓喜の瞬間を見つめる藤井の目には、涙が浮かんでいた。
胴上げが始まった。バックスクリーン側から望遠カメラで捉えた映像が映し出される。
王監督の体が、ホークスナインによって持ち上げられる。
その横で、若田部が何かを両手で掲げながら、大きく飛び跳ねている。
ダイエーのマスコットキャラクター・ハリーホーク人形だ。
人形の背中には、「FUJII 15」と手書きの文字が書かれていた。
チームスタッフのアイデアで藤井を元気づけようと作られたその人形は、「藤井ハリー」と呼ばれ、シーズン中からベンチに置かれていた。
王監督とともに「15」を着けた藤井ハリーも宙を舞った。
読んでいて僕も思い出しました。
藤井選手の「15」は、その後、ホークスでは誰も背負っておらず、福岡ドームの「15」番通路には藤井選手の小さなプレートが設置されています。
昨年で引退した、広島カープの黒田博樹投手の背番号「15」は永久欠番となりました。
カープファンは「15」という数字をみると、2016年のリーグ優勝と黒田投手のことを、これからも思い出すはずです。
そして、ホークスファンにとっての「15」は、ずっと、藤井将雄さんの番号として生き続けるのでしょう。
永久欠番になる背番号もあれば、ヤクルトの「1」のように、永久欠番級の活躍をした若松勉選手がつけていながら、若松選手の引退後もチームの主軸となる選手の象徴として、受け継がれている番号もあります。
単なる数字、のはずなのだけれど、スーパー温泉のロッカールームで贔屓の選手の背番号をつい探してしまうのは、大人になっても変わらない。
また、その番号が、けっこう塞がっているんですよね。
先を越されたか!と思いつつも、「同好の士」なのだろうか、と、少し嬉しくもなるのです。