琥珀色の戯言

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【読書感想】京都まみれ ☆☆☆

京都まみれ (朝日新書)

京都まみれ (朝日新書)


Kindle版もあります。

京都まみれ (朝日新書)

京都まみれ (朝日新書)

京都と東京はどちらが格上か。首都東京の圧勝だろうと著者は本書を書きだした。ところが……各地に残る不可解な地名から「とらや」の羊羹まで、数々の物的証拠が千年の古都のあなどりがたさを告げる。ほこらしげな京都人たちに、もう一太刀、あびせておかねば。


 『京都ぎらい』の著者による「京都シリーズ」の続編です。
 『京都ぎらい』は、「地元」を持たない転勤族の子どもだった僕の不快な記憶を呼び覚ます本だったんですよね。
 

fujipon.hatenadiary.com


 今回は、「京都」と「東京」を比べてみる、というコンセプトでの依頼だったそうなのですが、著者自身はそんなに「いまの東京」には詳しくないと最初に断りを入れておられます。ちゃんと東京で生活したこともないし、とも。
 そんななかで、地名や文化などに着目して、「京都の影響力」みたいなものを考察しているのです。
 そもそも、「東京」という名前そのものが「東の京」なんですよね。

 著者は、冒頭で、今でも残る京都のプライドの一例を紹介しています。

 いまの日本では、東京への一極集中がはなはだしいとして、中央省庁の地方移転が検討されており、文化庁が京都に転出することになりました。そのほかの省庁も検討されてはいるものの、いまのところ実現されそうなのは文化庁のみなのだとか。

 政権のかかげる地方創生といううたい文句は、けっきょく京都でしか実現しきれない。どうやら、そんな結末でおわるだろう情勢に、今はなっている。
 ところが、その京都でも、地方創生がなしとげられるのかどうかは、うたがわしい。じっさい、文化庁をうけとる側の京都は、この標語をはねつけている。
 政権は文化庁の一件を、地方創生事業のひとつとして位置づけようとする。しかし、京都は「地方」じゃない。同庁の上洛を「地方」創生とよぶのは、こまる。せめて、「地域」創生にしてほしい、京都市役所などは、そう言いだした。
 いや、口にするだけではない。京都では、じっさいにその名称を「地域」にかえてきた。かかわりがある書類の文言を、みな「地方」から「地域」に変換している。委員会や会合の名称も、「地域」になおしているのである。
 じっさい「地域創生」うんぬんという表示は、市井のそこかしこに点在する。それらを、見るたびに思う。東京の中央政府は、こういう京都のこだわりを、どう受けとめているのだろう。また、京都側は、「地域」でおしとおすために、どれだけねばったのか。いくだぐらいコストを、換言すれば市の税収、ひょっとしたら府のそれも投入したのか。おしえてほしいところであす。


 あれこれ駆け引きがあった末、中央政府も「地域」への名称変更を受け入れたそうです。
 僕はこれを読んで、呆れてしまいました。
 そんなに「地方」って呼ばれるのがイヤなら、「地方創生」そのものに参加しなきゃいいのに。なんだったら、名古屋とか福岡に文化庁を移転すればよかったんじゃない?
 京都には文化財が多いから、という理由もあるようなのですが、それにしても、自分たちを「地方」だと認めない場所に移転して「地方創生」だというのも変な話だし、京都の人たちは、やっぱりめんどくさいなあ。
 そもそも、呼び方で揉めて、移転の話が危うくなるくらいなら、波風を立てずに実利を得たほうがいい、と思わないのだろうか。
 そういう意味では、「お金では動かない、立派な人たち」だとも言えるのかもしれません。

 
 僕はこの本ではじめて知ったのですが、「京都」が「西京」と呼ばれていた時代があったそうです。

 ようすがかわりだしたのは、(明治)維新後5、6年をへてからであった。山城の京都は、そのころから「西京」と名ざされるようになる。また、京都のほうも、この新しい名称をうけいれた。
 もう、かつてのような都ではない。それでも、西側の「京」ぐらいにはしてやろうと、東京の中央政府は配慮した。そして、旧都もこれを甘受したのである。
「京都」から「西京」に、都市の名前を格下げした。だが、まだ旧都への恩情も、中央政府はいだいていたというべきだろう。じっさい、「西京」の名は、「東京」と同格にならぶひびきをもつ。東の横綱と西の横綱めいたあつかいに、名目上はなる。もう、「京」の内実はうしなった都市なのに。
 余談だが、名古屋は「中京」と、しばしば言いあらわされてきた。東京と西京のあいだに位置している。両京の「中」にあるという意味をこめた命名であろう。東京が江戸だった時代には、ありえないネーミングだと考える。
 ともかく、1870年代に、京都は一時期、西京となる。だが、1890年代のなかごろから、旧都はふたたび「京都」を自称しはじめた。そして、東京の中央政府も、けっきょくこれをみとめている。身の程をわきまえよ。「西京」という名前だって、おまえたちには、分不相応なんて。ひかえおろうと、おしとどめはしなかった。
 19世紀のおわりごろには、京都も近代化の途を歩みだしている。それで自信をとりもどしたから、もとの「京都」にもどった。地元の京都では、よくそう言われる。この説明が、地方史の通り相場となっている。まあ、「地方」史という言い方を、京都至上主義者はよろこばないだろうけど。

 
 著者は、このあと、「京都の自信回復説にはくみしない。東京側の思惑もさぐってみるべきだ」と自説を展開していくのです。
「京都」が「西京」だった時代があったのだけれど、一度改名されたにもかかわらず、「京都」に戻ったのか……


 この本のなかでとくに僕の印象に残ったのは、京都大学工学部建築学科卒の著者が、大学4年のときに町家の調査を手伝ったときの話でした。著者は、京町家の写真撮影や実測とともに、町家ぐらしの実情に関する聞き取りも行っていたそうです。

 住み手の多くは、たいしていやがりもせず、家を見せてくれた。しかし、私たちにむけて不快感をにじませた人が、いなかったわけではない。往来からイケズ口(ぐち)を聞かされたこともある。たとえば、こんなふうに。
「君らは、京大の子らしいな」
 ──ええ、そうです。
「君らは知らんかもしれんけど、言うといたるわ。ここいらあたりではな、息子が京大へはいったりしたら、まわりから同情されるんや。気の毒やなあ言うて」
 洛外の嵯峨でそだった私は、京大への入学がきまった時に、近所からほめられた。章ちゃん、ようがんばったなあと、声をかけられている。私だけではない。家族も、とりわけ母は、おめでとうという言葉を、いくつもまわりからもらっていた。
 だが、京町家のならぶ街中では、かならずしもそうならない。子息が京大へうかった家は、周囲からあわれまれることがあるという。その理由が、しかし最初、私にはよくわからなかった。けげんそうな表情を見せてしまったせいだろう。路上からしゃべりかけてきた人は、事情をつぎのように説明してくれた。
「京大なんかに入る子はな、京都にいつかへん。卒業したら、遠いとこへいってしまいよる。店もつがへんやろ。気の毒がられるて言うのは、そういうことや。かわいそうに、あの店、もう跡取りがおらんようになったな、ちゅう話や」
 嵯峨にも、古くからつづく老舗は、点在していたと思う。後継者の問題で頭をなやます家が、なかったとは思わない。しかし、そういった家々の悩みは、あまり近所でわかちあわれていなかった。


(中略)


 京大へ入学をするような息子は、家出をしてしまいかねない。この言いっぷりも、今のべたような考えにねざしていただろう。じっさい、京大の卒業は、ほとんど京都にのこらない。たいてい、東京や大阪などにでてしまう。
 そして、その実情をわれわれにつげた人物は、さらにこう言葉をつないで言った。
「あのな、勉強ができることじたいを、悪いと言うとるんやないで。頭がええっちゅうのは、けっこうなことや。そやけど、京大はあかん。あんまとこ、いかんでええ。大学いくんやったら、同志社ぐらいがころあいや。あそこやったら、店の跡取りもぎょうさんおる。気のあう仲間が見つかったら、店をついだあとのつきあいにも、都合はええやろ」


 僕はこれを読みながら、「受かるものなら、京大のほうが良いに決まっているのに……」と思ったのですが、価値観というのは、人それぞれ、家それぞれ、ではあるんですよね。
 僕は地方大学(いわゆる駅弁大学)の医学部を卒業したのですが、学生時代は、近くの私立の医学部を「偏差値をお金でカバーして医学部に入った、学生時代から外車を乗り回しているボンボン」みたいなイメージで見ていたのです。
 でも、実際に私立の医大で仕事をしてみると、そこの学生たちのほとんどは僕が通っていた大学と同じくらいの能力があると感じましたし、中には、抜きんでて「できる」人もいました。彼らはよそから来た僕にも寛容で親切でしたし、世の中のことをよく知っていて、患者さんに愛されてもいました。実際のところ、その地域で開業医の親の跡を継ぐには、偏差値が少し高くて学費は圧倒的に安い僕が通っていた大学に行くよりも、その私立大学を出たほうが、地元のネットワークに入りやすかったのです。
 もちろん、東大、京大レベルとなれば、もう家のことはあきらめて、頂点を目指せばいい、とも思うのですが、実際のところ、東大、京大を出ても、世界的に認められるような研究者になれるとは限りません。人は、偏差値の順に幸せになっていくわけではないのです。


 この本を読むかぎり、京都、とくに京都市内(洛中)の人たちって、自分はたいしたことないのに「伝統」とか「家柄」を振りかざして、偉そうにしている、日本中の空虚な連中のエッセンスを煮詰めて濃縮したように感じるのです。
 まあ、こちらはこちらで、「昔のことや先祖のことしか自慢できない哀れな奴ら」と内心嘲っているわけですから、お互い様、なのかもしれませんが。


京都ぎらい (朝日新書)

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京都、パリ ―この美しくもイケズな街

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