琥珀色の戯言

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【読書感想】カエサル――内戦の時代を駆けぬけた政治家 ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
内戦を終結させ、ローマ帝国への道をひらいた英雄―多くの人がカエサルをそう描くが、実のところ、彼はどんな時代を生き、何をなそうとしたのか。共和政末期の政治社会状況やキケローら同時代人の動向を丹念に読み解き、また『ガリア戦記』をはじめとする彼自身の著作活動にも着目、その苛烈な生涯を資料に基づいて活写する。


 うーむ困った。この本を読み終えて、感想を書こうと思っているのですが、正直なところ、引き延ばした世界史の教科書をずっと読んでいるようで、240ページくらいなのに、けっこう長く感じたんですよね。ありていに言うと、「かなり気を配って『わかっていること、歴史的事実に近いこと』を書こうとしているのだけれど、物語的な面白さには極めて乏しい伝記」だと思います。
 カエサルの生涯をドラマチックに読みたいのであれば、塩野七生さんの『ローマ人の物語』とかのほうが、はるかに読みやすいし面白い。

 読みどころといえば、著者の専門が西洋古典学(ラテン文学)であるため、カエサルが書いたといわれる『ガリア戦記』『内乱記』の内容や成立の背景について、詳しく紹介されているところでしょうか。

 そもそも、著者自身も、「あとがき」で、「本書を記すにあたり、言葉は悪いが既に供給過多の感のあるカエサルという題材について、今さら取り上げる意味がどこにあるのか、また、書くとすれば何を目指すべきなのか、率直に言って、筆者自身も大いに疑問を感じたところであった」と書いておられます。なんて正直な人なんだ……

 古代ローマ人の生涯を幼少期から逐一追っていくのは、基本的に困難であり、それはカエサルの場合にも当てはまる。前100年に生まれ、前44年に暗殺されたその生涯で、資料が豊富になるのは前60年代末からである。すなわち彼が大神祇官(前63年に当選、終身)、法務官(前62年)、執政官(前59年)といった高位の公職や神官職を獲得し、かつポンペイユスおよびクラッススとの間に同盟(いわゆる「三頭政治
。前60年頃成立)を結成して、政治を動かす存在となってからのことである。その頃になるとカエサルの姿は、同時代の最も重要な歴史資料であるキケローの書簡に頻繁に見出すことができるようになる。また、彼が自ら記した『ガリア戦記』や『内乱記』によってもその足跡をたどることができるようになる。
 とはいうものの、それは56年の生涯のうちの3分の1にも満たない期間なのである。その期間こそ、カエサルが最もカエサルらしく生きたと言えるのかもしれないが、そういうカエサルを育てたそれ以前の40年近い歳月も、本当は同じくらい重要なはずである。しかし、それらの歳月について、我々が知ることができるのは、スエートーニウスやプルータルコスが記したカエサルの伝記などに見出される、わずかの事柄にすぎない。

 いやほんと、著者はものすごく真面目で率直な人なんだと思います。ラテン文学者ということもあって、きっちり文献にあたり、後世の人の創作が疑われるエピソードについては、そのようにコメントしていますし。
 カエサル自身の生涯についてわからない時期に関しては、当時のローマの政情や職制について、かなり詳しく解説がなされています。
 ただ、カエサルの若い頃の「常人とは違ったエピソード」が排されたこの本を読んでいると、「やっぱりカエサルはすごかったんだな」というよりも、「なぜ、カエサルだったのだろう?」という疑問が湧いてくるのも事実なんですよね。
 たとえば、マリウスとの熾烈な争いの末に、マリウスの死後、独裁官として権力を握ったスッラは、なぜ、カエサルになれなかったのか?
カエサル伝説」みたいなものを抜きにすると、スッラはカエサルほど権力への執念が強くなく、また、独裁者としての階段を登る前に寿命が付きてしまっただけではないか、という気がするんですよ。
 カエサル自身の才覚はもちろんですが、長い間の外敵との戦いや、あまりに広くなった領土を統治するには、強い権力者が必要だということを、ローマの人々が受け入れざるを得なくなった時期に出てきたのがカエサルだった、とも言えるかもしれません。

 著者は、ポンペイユス打倒を果たした時点でのカエサルについて、こう述べています。

「名誉の階段」を昇り始めたときから、カエサルのここまでの人生は闘いの連続であった。前58年以後は、多くの時を戦地で過ごした。そしてとうとう、ただ一人の勝利者として残った。彼の人生が、あと一年も残っていないとは、このとき誰が思っただろうか。

 カエサルの物語から、現状、歴史的事実としてわかっていること、を抜き出していくと、本当に「ずっと休みなく戦いつづけていた人」なんですよね。とくにガリアでは、読んでいて、敵や味方の名前がこんがらがり(もともと耳慣れない名前が多いですし)、何度も前のページに戻らなくてはならないくらい戦っているのです。
 そして、著者は「敵にも寛容であった」ことで知られるカエサルにも、けっこう根に持つところがあったことや、この時代の他の指揮官と同じように、ガリアで打ち破った敵から略奪をして、自軍の将兵に大盤振る舞いをし、人心を掌握したことを書いています。

 そんなカエサルも、結局のところ、「皇帝への道」を進もうとした矢先に暗殺されてしまうのですから、ローマの「独裁者アレルギー」の強さと「共和政」に対する人々の思い入れの強さも痛感します。
 逆にいえば、そんなローマで、元老院や市民とうまく折り合いをつけながら、プリンケプス(第一人者)から、初代皇帝となったアウグストゥスオクタウィアヌス)というのは、カエサル以上の傑物だったようにも思われるのです。

 正直、「カエサルの伝記を何か一冊、と言われたら、これじゃないよなあ……」なんですよ。
 でも、他の伝記で「カリスマとして美化されまくっているカエサル」に接したあとでこれを読むと、「英雄というのは、後世の人によって『作られる』ものなのかもしれないな」と感じるところはありました。


ガリア戦記 (岩波文庫)

ガリア戦記 (岩波文庫)

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