Kindle版もあります。
カジノで106億8000万円を失い、会長辞任、獄中へ。
そして懲役4年の刑期満了後に、再びカジノへ。リベンジの舞台は韓国ソウルの「ウォーカーヒル」
3000万円が9億円にまで増えるマジックモーメント(奇跡の時間)を迎える。
果たして、負けを取り戻す夢物語か、破滅への一里塚か。
ギャンブラー井川意高によるバカラ放蕩記。
しかしその裏ではギャンブルよりも血がたぎる、現会長佐光一派による井川家排除のクーデターが実行されていた。
「大王製紙から井川家を排除し、自らの地位を盤石とするために、佐光は300億円も無駄金を上乗せして会社に損害を与えた。「他人のカネ300億円で買った社長の座」は、さぞかし温く心地良いことであろう。これこそ特別背任ではないか。しかも、私の金額の3倍である。有罪とすれば懲役12年だ。」(本文より)
大王製紙を舞台にした血みどろ裏切りノンフィクション!
著者の前著『熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録』には、「とんでもない人だ……」と思いつつも、東大法学部を出た優秀な経営者であったにもかかわらず、ギャンブル沼にハマってカジノで100億円を失ってしまうという「とてつもない堕落の記録」という魅力があったのです。
僕自身はケチで小心者なのにギャンブルは好き、という人間なので、「ここまでやるなんて凄いな」と、圧倒されました。
著者の頭脳であれば「ギャンブルはそう簡単には勝てるものではないし、基本的に胴元だけが稼げるシステムになっている」ことは理解できているはずなのに、それでも多忙な生活の合間を縫って、海外のカジノでのギャンブル三昧。揚げ句の果てには、ギャンブルの資金を自分の会社に融通してもらったということで(ご本人は「借りただけ」ということなのですが……結果的には返済もされています)、会長を退任し、刑務所へ。
それが、ギャンブルの魅力なのか、一種の自傷行為のようなものなのか。
2011年11月に会社法第960条の特別背任罪で逮捕され、懲役4年の実刑判決を受けた井川さんは、3年2ヵ月で仮釈放され、2017年10月に4年の刑期満了を迎えます。
さすがにこれで「懲りた」のではないか、刑務所に入ったことで、結果的にギャンブル依存の治療にもなったのではないか、と思いながら読み始めたのです。
2018年6月、私は韓国の首都ソウル郊外の統合型リゾート「パラダイスカジノウォーカーヒル」に立っていた。手元のカバンには現金3000万円が詰めこまれている。1万円札1枚は約1グラムだ。3キロの重みを手元に感じながら、私の脳髄は次第に熱量を増しつつあった。
「さて、この種銭を元手に、今回はどこまで勝てるかな……」
冒頭のこの文章を読んで、僕は椅子からずり落ちそうになりました。
あれだけのお金と地位と社会的信用を失って、刑務所にまで入って、まだやるんですか井川さん……
恐るべしギャンブル依存。いやしかし、誰か止めてあげないのか……って言っても、何事に対しても過剰というか「自分で決めたことをやり通してしまう」井川さんには、何を言っても無駄なんだろうな……
前科があっても、自分のお金でカジノで遊ぶことそのものは犯罪ではないですし。
井川さん自身の述懐によると、刑務所の中では、ギャンブルをやりたい、という欲求はほとんどなく、哲学書や趣味の車の技術書などを読み漁っていたそうです。
不思議なことに、あれだけ没入したカジノへの蠱惑的執着は、刑務所に入った瞬間きれいに雲散霧消した。アルコールが揮発して空気中に拡散するように、バクチへの執着が揮発してしまったのだ。刑務所にいる間「またカジノへ行きたいな」「バカラをやりたいな」とはまったく思わなかった。「酒を飲みたいな」という気持ちすら起きなかった。
シャバにいる間に精神鑑定を受けたところ、私は完全なギャンブル依存症であり、アルコール依存症でもあると診断された。いったん酒を飲み始めると、限界値を超えるまで浴びるように飲みまくらなければ、その日を締めくくることができない。一緒に飲んでいる仲間も呆れるほど、毎日徹底的に酒を飲みまくったものだ。
目の前の患者に起きている事象をわかりやすく説明するために、精神科医が便宜的に「依存症」という言い方をしているだけなのだと私は思う。いくつかの選択肢があったとしよう。AとBを口にするよりは、酒のほうがいい。CやDで遊ぶよりは、ギャンブルのほうがいい。私にとっての酒やギャンブルは、その程度のものだった(その程度のものに106億8000万円を投じるのはいささか異常ではあるのだが)。
事故で足を骨折して、3ヵ月入院を強いられたとしよう。入院中、病院ではテレビを観るか本やマンガを読むくらいしかやることはない。それでも病院から脱け出して麻雀やカジノで遊ぼうとか、看護師の目を盗んで西麻布へ酒を飲みに出かけようとは思わないようなものだ。
寿司屋でトロと白身の握りを同時に出されたとき、どっちを先に食べるのか。「どうしてもトロが食べたくてしょうがない」というほど、物事に対して強い執着があるわけではない。酒とギャンブルもその程度のものだ。長期入院しているとでも達観すれば、刑務所での生活はさほど苦痛でもなかった。
刑務所に入った瞬間、物欲も所有欲も含めてあらゆる欲望が揮発し、あっという間に修行僧のような境地に至ったのだ。
……まあ、このあとの刑務所での生活の記述では、刑務所から高級外車を何台も買ってもいるんですけどね。
フェラーリの通販がある、というのを僕ははじめて知りました。僕がこのまま生きていても、絶対に知ることができない「超富裕層の世界」を垣間見ることができるのも、この本の魅力だと思います。まあ、見たからどうかなる、ってものでもないけどさ。
僕もストレスが溜まっているときに、ついAmazonで衝動買いしまくるときがあるのですが、井川さんのやることはスケールが違いすぎる。
そして、ものすごく頭がいい人ではあるのだけれど、その賢さが、自分がやっている傍からみればけっこう無茶苦茶なことを、理論武装して、自分自身を説得するために発揮されているのです。
この本を読んでいると、井川さんは勝とう、稼ごうと思ってギャンブルをやっているというよりは、ヒリついた感覚、生きるか死ぬか、という瞬間を味わいたかったようにも思われます。井川さんの資産があれば、ギャンブルで増やさなくても遊んで暮らせたでしょうし。
もし自分の興味がギャンブルではなく、会社の経営のほうに向いていたら、孫正義さんのようになれたのではないか、とも井川さんは仰っているのですが、孫さんにしてもスティーブ・ジョブズにしても、伝説的な経営者というのは、たしかに、仕事とか経営に対して、「異常」なまでの執念とか情熱を持っていますよね。サイバーエージェントの藤田晋さんの著書を読んだのですが、起業時の働きかたは、「セルフブラック労働」でした。
人の運命は、その人が置かれた環境や、興味を持つ対象が何かによって変わってしまうし、仕事やスポーツで成功している人たちは、その「狂う」対象が世の中でポジティブにとらえられているものだったというだけ、なのかもしれません。
この本の後半では、井川さんとお父さんの関係や、大王製紙から創業家を追い出すための佐光社長一派の暗躍、井川一族内での主導権争いなどが描かれています。
佐光が私の後釜として大王製紙社長に就任したのは、2011年6月のことだ。井川家を大王製紙から排除しようとしていた佐光は、事件前に自分が代表取締役社長だった時期に私の借金について知らなかったわけではない。本人は「知らなかった」ということにしているが、それがウソであることを示す録音テープが存在する。
事件の翌年、2012年4月佐光が弟(井川高博)の座る役員室にやってきた。弟は機転が利くので、このときのやり取りの模様を密かに録音した。「大王製紙の取締役を辞めてください」と迫られた弟は、こう切り返した。
「佐光さん、あなたそんなこと言うけどね、なんでオレが辞めなきゃいけないの?」
「いやいや、高博さん、あなたはこの事実を知っていたでしょう?」
「それを言うんだったら佐光さん、あんたは知らなかったの?」
弟がすごい剣幕で詰め寄ると、気圧された佐光は「知っていました」と口を滑らせた。そのあとあわてて「(自分が社長に就任した2011年)6月29日の時点ですが」と付け足した。
2011年6月の時点で知っていたということは、私が会長を辞任する9月まで3ヵ月もある。その間佐光は、役員会で本件について何も報告していない。その佐光が、なぜ平気な顔で社長の座に居座っているのか。東京地検特捜部が捜査に動き始めるまで、佐光はダンマリを決めこんでいたではないか。
佐光(と特別調査委員会)が父・高雄や弟・高博を大王製紙から排除しようとした理屈は、こういうことだ。
「意高会長に借金がある事実を知っていながら、井川高雄顧問も井川高博取締役も役員会に報告しなかった。これはコンプライアンス違反だ。井川高博については、取締役としての義務違反だ」
弟に「取締役としての義務違反」を問うのなら、佐光自身も義務違反の責任を負わなければならないはずだ。資金借り入れの事実について知っていながら、知らないフリをしてすっとぼけて、裏で井川家排除のために画策していた。この質問に答えてもらいたいものだ。
佐光社長派の創業家排除の動きについて、井川さんは激しく非難しているのです。
井川さんのお父さん、弟さんの罪を問うならば、社長の佐光さんにも責任があるだろう、と。
これは「正論」ではあるのでしょう。でも、正直なところ、僕は「元はといえば、井川さんがギャンブルで個人的な借金をつくり、お金を関連会社から調達するという、大王製紙という会社の私物化をしたのが問題だからなあ……」としか思えませんでした。
創業家の力が強すぎたからこそ、こんなことができてしまったわけで、僕が大王製紙の株主であれば、「井川創業家排除」に賛成します。
井川家がずっと大王製紙の発展に尽力してきたとしても、あの事件は「ワンマンオーナーの火遊び」というよりは「企業経営者としての重大なコンプライアンス違反」だとしか言いようがない。
むしろ、「あの事件のせいでこんなことになったのに、反対派を著書で堂々と非難するって、図太いというか、自分の主観でみた世界を正当化する傾向が極めて強い人なんだな……」と考えずにはいられません。
でも、事件を起こした人の、ありきたりな「反省してまーす!」本よりも、井川さんの肉声が伝わってくるというか、世の中には、こういう人もいるんだな、能力は高いけど、それが困った方向に突き抜けてしまう人なんだな、というのが感じられるのも事実なのです。
結局、人は、そう簡単には変われないし、やりたいことしかできないのではないか。
いや、お金や地位には恵まれていたがために、やりたいことができると、こうなってしまうのか……
(ちなみに、井川さん自身は「マイナスなこともあったけれど、総じていえば、やりたいことをやり、普通はできない経験もたくさんできたから、自分の人生には満足している」と仰っています)