琥珀色の戯言

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【読書感想】昔は面白かったな―回想の文壇交友録― ☆☆☆

昔は面白かったな回想の文壇交友録 (新潮新書)

昔は面白かったな回想の文壇交友録 (新潮新書)


Kindle版もあります。

昔は面白かったな―回想の文壇交友録―(新潮新書)

昔は面白かったな―回想の文壇交友録―(新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
作家として政治家として半世紀余、常に時代の最前線を駆け抜けてきた石原氏と、文芸編集者として同時代を歩んできた坂本氏。小林秀雄川端康成三島由紀夫など、活気にあふれたかつての文壇での交友と逸話の数々、戦前から戦後の忘れがたい情景、時代と読者から遠ざかる現代の文学状況への危惧―五度に及ぶ対話を通して、文学と政治、死生まで縦横に語り合う。


 内容紹介をみて、ああ、これは石原慎太郎さんの昔話を、仲の良い編集者がおだてながら聞いてあげる新書なのだな、と思ったのです。
 読むと、まさにその予想通りの対談でした。
 三島由紀夫さんとか小林秀雄さんの「素顔」に興味がない人、あるいは、アンチ石原慎太郎、という人にとっては、わざわざ時間とお金をかけて読む必要はないけれど、昔の「文壇」や作家って、どんな感じだったのだろう、と思える人にとっては、それなりに楽しめるのではないでしょうか。
 

坂本忠雄:(田中)角栄さんが「私の履歴書」を書いた時にね、小林さんが誉めたんですよ。それで角栄さんが喜んじゃって、「先生、序文を書いて下さい」って電話で言ったんですって。そうしたら小林さんが「バカヤロウ」って怒鳴りつけたって(笑)。


石原慎太郎そうなんだ(笑)。


坂本:小林さんが角栄さんに「おまえの文章は縁台将棋に過ぎないんだ」って言って、電話を切っちゃったんだって。角栄さんショックだったらしいですよ。角栄さんてのは、のびやかな、素直なところがありましたね。

坂本:三島(由紀夫)さんは「それにしても『太陽の季節』のどこがスキャンダラスであろうか?」とはっきり言っている。「これはつつましい羞恥にみちた小説ではないか?」。でね、「障子紙を破って突き出される男根は、羞恥に充ちてはいないだろうか? 中年の図々しい男なら、そのまま障子をあけて全身をあらわす筈ではなかろうか?」(笑)。


石原:なるほどねえ(笑)。


坂本:「ひたすら感情のバランス・シートの帳尻を合わせることに熱中し、恋愛の力学的操作に夢中になり、たえず自分の心をいつわり、素直さに敵対し、自分の情念のゆるみを警戒するのは、ストイシズムの別のあらわれにすぎないではないか?」
 僕はこれを読んで感心しました。


 この本で紹介されている、三島由紀夫さんや川端康成さん、大江健三郎さん、そして、石原慎太郎さん自身のエピソードを読んでいると、昔の「文壇」とか「文士」の世界は、無法地帯というか、とんでもない人たちの集まりだったのだなあ、と思い知らされます。

 三島さんや小林さんより年下で、率直にものを言う石原慎太郎さんは、先輩たちにかなり可愛がられてもいたようですし、まだ「無頼派作家が、『作家とはそういうもの』だと周囲から認められている時代」でもあったのです。

 小林秀雄さんが、あの田中角栄さんに罵声を浴びせた(本人にとっては、「本当のことを言った」だけのつもりだったのかもしれませんが)、というのも、当時の大権力者にでも文章のことであれば忖度しない、という小林さんの矜持を見せつけられたような気がします。
 ちなみに、田中角栄さんは、そう言われて「けっこう落ち込んでいた」そうですが、小林さんに対して何か嫌がらせをした、などということは全くないみたいです。

 この『太陽の季節』に対する三島由紀夫さんの評価は、難しい言葉で書かれているけれど、僕には、「全裸にならなかっただけ、恥じらいがあって、可愛げがあるじゃないか」と読めました。物は言いよう、だけれども、さすがにそれは強引な理屈というか、障子を取り替えなければならないことを考えると、迷惑度はイーブンじゃなかろうか(今の時代に本当にあんなことをやったら、ネタじゃ済まないでしょうけど)。

 1932年生まれの石原慎太郎さんと、1935年生まれの坂本さんの話を、2020年の判断基準で断罪するのも不粋というものではありますね。
 読んでいて、「昔の飲み会は楽しかった」と、男女入り乱れて、セクハラ三昧だった頃のことを回想している大先輩の話を「すごいですねえ……」と、気のない相槌をうちながら聞いていた自分自身のことを思い出しました。

 「そういう時代」を全否定はできないけれど、「昔は面白かった」とは、僕には思えないのです。

坂本:ご自分で書いている時に乗っていらしたって述懐しているのを、僕は読んだことあるけど。


石原:どうだったかな。とにかくあれ(『太陽の季節』)二晩で書いてね。ギッチョ(左利き)でしょ? 悪筆なもんだから、清書に三日間かかったんだ。


坂本:それ、よく分かるなあ。だって、石原さんの原稿、僕が清書してたんだもん。


石原:僕は自分で書いた後、読めないと困るから、テープレコーダーに吹き込んだんですよ。吹き込みながら、自分の文章読めなくて「なんだこりゃ」って言いながら……。


坂本:僕、覚えてますよ、それ。


石原:あの頃、編集者が、「邦文和訳」って言ってたんだ、恥かしい話だけど(笑)。


坂本:僕が清書しないと組まないっていうんですよ、二光印刷のおやじが。「石原の原稿は組まないからな」って言うから、「困ります」って言うと、「とにかくおまえは徹夜してでも清書しろ」って。


石原:申し訳なかったね(笑)。


坂本:いえいえ。どうしても読めないところは、左手で書いてみるんですよ。そうすると、段々分かってくるんです(笑)。これは印刷屋のおやじが褒めてくれました。「よく難しい字を読み解いたな」って。


石原:今はワープロがあるからね。そんなことないけど。


坂本:僕は新潮社の中で石原さんの原稿を一番読めてますよ。


 「悪筆伝説」もここに極まれり、という感じではあるのですが、書いた本人でさえ読めない、というのは、僕も少しわかるような気がします。でも、そこで、本人に「ここはなんて書いてあるんですか?」って直接聞かずに「和訳」するのが当時の編集者の矜持でもあったのでしょう。


 石原さんは「右寄り」の政治家、作家というイメージがあるのですが、この対談のなかで、石原さんは、自らの「原体験」について語っておられます。

石原:(戦時中)警戒警報が鳴ると学校が生徒達を帰すんです。湘南中学が丘の上にあって、帰ろうと思ったら駅まで四十分くらい歩く。下駄履いてね。丘の下に烏森っていう森があってその向こうに東海道線が走っていて、見たら列車が止まっているんだよ。満員列車が。で、駅に行くよりそっちのほうが近いから、歩いたの。そうしたら途中でアメリカの飛行機が来て機銃掃射しやがった。それで僕は慌てて芋畑の中に伏せた。こわごわと上を見たらアメリカの飛行機の胴体に漫画が書いてあった。あれがアメリカの文化に初めて触れた瞬間だな。それから烏森に逃げ込もうとしたら、また爆音が聞こえた。まずいなと思って、芋畑の畝の中に伏せたんですよ。そうしたら今度は機銃掃射がない。見上げたら厚木の友軍の飛行機なんですよ。褐色の胴体に日ノ丸に白縁してあった。それで、なんというのかな。感動したね、あの時は。すがりつきたいくらい、感動した。国家と民族の初めての体験ですね。得難い体験だった。


坂本:それは本当に貴重な体験でしたね。


石原:ああいうものを得た後でね、みんな立場は違ったけど、もはや戦後ではないって時代になった時に、群雄割拠っていうか、色んな新人が出てきましたよ。小説家だけじゃなく、芸術世界でね。寺山修司もそうだし、それから有吉佐和子とか、曽野綾子とか。映画の世界なら篠田(正浩)とかさ。大島渚とか。みんな同世代ですよ。百花繚乱って感じだったね。みんな同じような体験を持っているから。色んな鬱屈したものを持っていてね。みんな強いメッセージを持っていましたよ。


 こういう、日本軍の戦闘機に命を救われた、おかげで助かった、という体験をしていたら、あの戦争で戦った人たちを悪く言うなんてとんでもない、という気持ちになるだろうな、と思うのです。
 実際に戦っていた人たち自身は「戦争なんて懲り懲り」だったとしても。
 
 人の思想には、それを形作る「背景」がある。
 それを考えずに「老害」とか「偏っている」と決めつけるべきではないのでしょう。
 そうすると、「まあ、人それぞれだし、なんでもありだよね」みたいなことになって、収拾がつかなくなってしまいがちではありますが。


天才 (幻冬舎文庫)

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太陽の季節

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