琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】どうしても頑張れない人たち~ケーキの切れない非行少年たち2 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

「頑張る人を応援します」。世間ではそんなメッセージがよく流されるが、実は「どうしても頑張れない人たち」が一定数存在していることは、あまり知られていない。彼らはサボっているわけではない。頑張れないがゆえに、切実に支援を必要としているのだ。大ベストセラー『ケーキの切れない非行少年たち』に続き、困っている人たちを適切な支援につなげるための知識とメソッドを、児童精神科医が説く。


 著者が以前上梓した、『ケーキの切れない非行少年たち』という本には、「こんな少年たちがいるのか!」という驚きというより、「存在を認識してはいたものの、積極的に理解しようとしていなかった」ことが言語化され、目の前に突きつけられた、と感じたんですよね。


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 しかし一番ショックだったのが、


・簡単な足し算や引き算ができない
・漢字が読めない
・簡単な図形を写せない
・短い文章すら復唱できない


 といった少年が大勢いたことでした。見る力、聞く力、見えないものを想像する力がとても弱く、そのせいで勉強が苦手というだけでなく、話を聞き間違えたり、周りの状況が読めなくて対人関係で失敗したり、イジメに遭ったりしていたのです。そして、それが非行の原因にもなっていることを知ったのです。


 この『ケーキの切れない非行少年たち2』で、著者は、そういう少年たちの存在を踏まえて、「周囲は、社会はどう接していけば良いのか?」を模索しています。
 そして、この「頑張れない子どもたち」への向き合いかたというのは、特別なものではなくて、一般的な親子関係にも応用できるものなのです。
 「こういう『自分の子どもへの接し方や言葉のかけ方っていうのは、『自分は子どもと良い関係を築けている』つもりの人ほど、読んでおくべきではないか」と僕は思ったんですよ。
 親って、自分が子どものときには、親にされてイヤだったことを、自分の子どもにもやってしまいがちなものですし。

 今の世の中って、(少なくともネット上や公の場での見解としては)「頑張らなくていいよ」って言われがちですよね。
 でも、日常生活や仕事の場では、周囲の人たちはそんなに「寛容」ではない。自分自身に面倒なことが降りかかったり、負担が増す状況でも他者に「頑張らなくていい」と言うのは難しい、というのが実感です。


fujipon.hatenablog.com


 著者は「支援が必要な人」について、こう述べています。

 では、本当に支援が必要な人たちとは、どんな人たちなのでしょうか。ずばり申し上げますと、私たちがあまり支援したくないと感じる人たちなのです。
 そういう人たちは、頑張れないために、なかなか物事を達成することができません。そのため自信がもてず”また叱られた””自分なんて駄目だ”とネガティブな思考、被害的な思考に陥っていることもあります。彼らは魅力的に見えるでしょうか。子どもの場合はもっと分かりやすいでしょう。被害的になっていると、友だちから親切に声をかけられても”またバカにしやがって”と手が出たりすることもあります。
 また大人に対しても”こんな何もできない自分でも見捨てないだろうか”との不安から、色んな不適切な行動を展開し、”試し行動”を仕掛けてきます。これらは大人にとってたいてい問題行動に映ります。嘘をつく、お金の持ち出しがある、暴言、暴力、万引き、夜間徘徊などです。こういった行動を繰り返す子どもたちを真から理解し支援しているプロの支援者も大勢おられますが、普通はやはり”厄介な子ども”に映るのではないでしょうか。

 では、概してどういった人たちが頑張れないのでしょうか。真っ先に挙げられるのは、『ケーキの切れない非行少年たち』にも書かせて頂いた、認知機能の弱さを持った人たちです。見る、聞く、想像するといった力が弱いため、いくら頑張っても入ってくる情報に歪みが生じてしまい、結果が不適切な方向に向いてしまうのです。そうしているうちにいくら頑張ってもうまくいかず、失敗を繰り返し、次第にやっても無駄だと感じるようになり、頑張れなくなるのです。知的障害児では、失敗経験を繰り返すことで、成功への期待感を低下させ、もっと上手くできる方法はないかといった工夫を次第にしなくなってしまうという国内外の研究報告(田中道治ら)もあります。


 「本当に支援が必要なのは、私たちが、あまり支援したくないと感じる人たち」か……確かにそうなんですよね。
 自分から積極的に苦境を訴え、支援を求められる、あるいは、支援してくれるシステムがあることを知っている人たちは、サポートしてもらうことができる。
 しかしながら、自分が置かれている状況をうまく説明できない、うまく人に頼ることができない人たちは、支援の対象から外れてしまいがちなのです。
 原因が「認知機能の低下」にあったとしても、凶悪な少年犯罪をおかしてしまった子を「支援」することに抵抗感があるのも理解できます。僕だって、「まず被害者を何とかしてあげろよ」って思うから。


 ただ、「わからない、ついていけない世界に取り残される」っていうのは、やっぱり辛いものではありますよね。
 僕も、アメリカに行ったとき(しかも「旅行者」として)、英語でのコミュニケーションがうまくいかず、いろんな人が肩をすくめて「呆れた」という態度を自分にとってきたときには、本当に悲しく、行き場のない気持ちになりました。
 「その程度のこと」でさえ、あんなに苦しかったのだから、「自分に理解できない世界」「何をやってもうまくいかない状況」で生きている子どもたちの辛さは、筆舌に尽くしがたいものなのでしょう。


 この「どうしても頑張れない」と「頑張って成功体験を積み重ねられる可能性がある」の境界を見極めるのは、とても難しいですよね。あのときの僕だって、「アメリカにしばらく滞在して、しっかり英語を勉強し、話ができる」ようになっていたら、あのときの記憶は人生で別の意味を持っていたかもしれません。


 「他者に効果的なアドバイスをするために必要なこと」を考える章では、こんな話が出てきます。

 少年院で勤務していた頃、いい指導をしていて少年から人気のある法務教官は、こう言っていました。
「まずは子どもたちに好かれないといけない。自分も学校でそうだったけど、嫌いな先生にどれだけ正しいことを言われても聞きたくない。嫌だと思う」
 さらに彼はこう続けました。
「好かれるというのは決して、甘やかすとか機嫌を取るということではない。子どもに笑顔で挨拶する、名前を覚えている、最後まで話を聞く、子どものやったことをはんと覚えている、そんな人と人との基本的な関係なのだ」
 これは子どもに限らず対人関係の基本だと思いました。確かに、その法務教官は少年たちだけでなく職場のみんなからも好かれていました。子どもへの指導の前に、まず”職場の同僚や身近な家族に対してきちんとした対人関係の基本ができること”が第一と感じました。これは実際にはなかなか難しいことですが、とても参考になります。
 この法務教官は、少年たちを大切に思う気持ちにも溢れていました。やはり、子どもたちはそうした愛情を持っている人を、しっかりと見抜くのです。


 挨拶だ礼儀作法だとめんどくさい、と僕も思いますし、軽く考えてしまいがちなのです。
 でも、「人に愛される特別な才能」みたいなものを持たないことを嘆いても状況は改善しない。
 日頃から、周りの人を大事にしていることを態度で示すほうが、ずっと効果的なのです。
 これをきちんと続けていくことが難しいのでしょうけど、少なくとも「何をやればいいのか」はわかります。


 「ケーキを切れない少年たち」に限らず、誰かとの人間関係に悩んでいる人は、前著とあわせて、読んでみる価値はあると思います。
 というか、人間関係に悩むことがない人って、いるのだろうか……


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