琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
30代のころの私は、次から次へと執筆・翻訳の依頼が舞い込み、1年365日フル稼働が当たり前だった。その結果、30代の10年間で50冊ほどの単行本を出すに至った。が、そんな私もふと気がついてみれば、最後に本を出してから8年以上も経っていた。―なぜか?私が出版業界から足を洗うまでの全軌跡をご紹介しよう。出版界の暗部に斬りこむ天国と地獄のドキュメント。


 僕にとっては憧れでもある出版業界って、こんな状況だったのか……と、がっかりしながら読みました。
 「良い本を出す」という行為を通じて、社会に貢献するという意欲がある一方で、「売れる本を出す」ことで、そこで働いている人たちが食べていけるようにしなければならない、という厳しさがあるのは理解できるのです。
 良い本=売れる本、であれば、悩む必要はないのでしょうけど、現実はそんなに簡単ではない。
 逆に、「売れる本が良い本なのだ」と考えている業界人も多いみたいです。
 出版というのを安定して続けていくためには、お金になること、従事するひとたちが食べていけることが大事ではあるし、稼ぐことを否定するつもりはありません。
 でも、なぜその負担が、弱い立場である著者や翻訳者にばかり押しつけられてしまうのか。
 
 著者は、「まえがき」で、自らの出版翻訳家としてのキャリアをこう述べています。

 ひと昔もふた昔も前、私は「売れっ子」だった。
 当時の私には次から次へと仕事が舞い込んできていたため、怒涛のごとく訳して訳して訳しまくった。10年近くは休みらしい休みもほとんど取れないくらい忙しく働いた。かくして私は約30冊の翻訳書を出すに至り、その過程でさまざまなことを経験した。
 自分の名前が載った翻訳書が書店に並ぶ、胸がキュンとするくらい装丁が綺麗に仕上がっている、翻訳のクオリティーを褒めたたえたファンレターが来る。講演の依頼が来る、著書の執筆依頼が来る、ベストセラーになる、新聞広告がドカンと載る、印税がガバガバ入る……そういう数々の成功体験ができた。
 しかし、8年前、私はその世界から完全に足を洗った。
 なぜか? 経験したのは良いことばかりではなかったからだ。
 怒りとやるせなさで一睡もできないまま夜を明かしたことも幾度もあった。
 約束していたはずの印税が突然カットされる、発行部数もカットされる、出版時期をずるずる何年も遅らされる、印税の支払いもそれに連動して遅らされる、編集者から知名度の低さを小馬鹿にされる……。この程度のことは日常茶飯事だった。
 自分には何の落ち度もないのに出版が中止されたことも何度かあった。1冊のすべてをまるまる訳した後になってからの出版中止だ。


 出版業界って、契約や報酬の支払いに対して、こんなにいいかげんなのか……と、呆れるような話が満載です。
 そして、著者は「お金の話」だけではなくて、「翻訳者として、本にちゃんと名前が記載される」ことを重視しているのです。
 お金さえもらえれば良いんじゃない?というわけじゃなくて、自分が訳した本は、自分の仕事として、ちゃんと名前を残したい。ところが、出版社の側は、「翻訳者の知名度」が売上に大きく影響すると考えていて、まともに読む時間すらなさそうな有名人を、突然「監修者」にしたり、実際に翻訳した人の名前を表紙から消したりしようとするのです。

 私が翻訳書担当の編集者についてもっとも驚いていいることは、彼らが翻訳のクオリティーに対する関心があまりにも薄いことである。彼らにとって最大の関心事は売れたか売れなかったかであり、売れない翻訳書は翻訳のクオリティーに関係なく「失敗作」なのである。
 私に翻訳の依頼をする場合も、私が超特急で訳文を仕上げてくれるからという理由で頼む編集者がほとんどである。私は「困ったときの宮崎先生」というフレーズを複数の編集者から何度となく聞かされたが、これは出版できる原稿がなくて「困ったとき」に超特急で原稿を仕上げる「宮崎先生」に頼むしかない、という意味のようである。


 SFとかミステリ、文芸書の翻訳のクオリティーについては、けっこう出版社も読者もこだわりがあると僕は感じています。著者の場合は、「ビジネス書」「自己啓発書」が主戦場だったのも、「売上至上主義の出版社・編集者」に出会ってしまった理由なのかもしれません。ビジネス書というのは、売れる本はものすごく売れるジャンルですし、売るためには出すタイミングも大事です。

 とはいえ、長い時間をかけて、ようやく訳し終えた本が出版中止になっても、「翻訳料は払ってあげたのだから、ウチは良心的」なんて編集者が開き直ってしまう話なんて、読んでいて僕も腹が立ってきました。
 いや、出版だって「商売」だから、時勢の変化によって、「依頼したときは売れそうだったけれど、もう旬ではなくなってしまった企画」とかもあると思うんですよ。現在であれば、「新型コロナウイルスの感染拡大以前のこと」は、なんだかすごい昔話のような感じもしてしまいますし。
 でも、そういう場合に、多くの出版社が「腹を割って、翻訳者と誠意を持って話し合う」のではなくて、おかしな言い訳をしたり、のらりくらりと問題を先延ばしにしたりしてきたのです。
 そういう目に遭ったのは、おそらく著者だけではないでしょう。著者ほど「筋を通す人」として業界内で知られていたであろう翻訳者でさえ、こんな状況だったのですから、押しが弱かったり、自分の権利を主張するのが苦手だったりする人たちは、死屍累々、だったのではないでしょうか。
 著者のような、ちゃんとしなければ気が済まない人でさえ(だからこそ?)、うんざりしてしまったくらいなので。

 翻訳者としてのその後の仕事のことを考えると、大手出版社と揉めたい人なんていないですよね。それを利用して、出版社側は、著者や翻訳者の仕事を買い叩いてきたのです。

 著者はこれを書くにあたって「極端な悪い例」を挙げていて、ほとんどの出版社は「ちゃんとしている」のだろうと思いたいですが……

 出版翻訳家としての収入だけで生活が成り立つだろうか。たいていの人は成り立たないだろう。莫大な遺産を受け継いだとか、投資で大儲けしたとか、玉の輿に乗ったとか、逆玉の輿に乗ったとか、宝くじに当たったとか、他人の10倍のスピードで翻訳できると自負している私でも出版翻訳だけで食べていくのはたいへんだ。いやいや、たいへんどころか、無理といったほうがより正確だとう。特に出版不況の今、幻想は見ないほうが身のためである。

 当時の私は著書は10%、訳書は7~8%のことが多かった。出版不況が騒がれ始めると徐々に印税率は下げられていき、著書は9~10%、訳書は5~6%で依頼されることが多くなった。


 2000円の本が1万部売れたとして、印税率が5~6%とすると、訳者は100~120万円の印税を得ることになります。1万部という、翻訳書としてはけっこう売れている場合でも、このくらいのお金にしかならない、というのが現実なのです。

 高度な専門知識を要求され、責任が重いにもかかわらず、年に3~4冊訳したとしても、年収は400万円くらい。その上、報酬を突然下げられ、「出ないよりはマシでしょう」なんて言われる仕事じゃ、つらいですよね……

 これからは、翻訳もAI(人工知能)の役割になって、職業としての翻訳者はいなくなっていくのだろうか。
 でも、こんな状況だと、AIに代替される前に、翻訳者は絶滅してしまうかもしれませんね。


fujipon.hatenablog.com

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