琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「学術的」を振り回す人々への不快感

http://blog.goo.ne.jp/kanimaster/e/b33006ffe0ffd597e8544d1b2ddce5dc

 僕も書く側として「それは誤読だ!」とか「あまりに恣意的な解釈だ…」というようなリアクションを投げつけられることがときどきあるので(たとえば、http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20050609のコメント欄とかね)、小町さんがこれを書いた心境というのは、わかるような気がするんですよね。確かに、文章というは、なかなか「書いた側の思い通りには、読んでもらえない」のです。読む側に「歪んだ先入観」みたいなものがあるときはなおさらです。
 僕はこの「孫引きはなぜいけないのか」という言説については、なるほどなあ、と思いながら読んだのですが、実際にこの言説を読んでいて感じるのは、「でも、そういう『学術論文の世界のルール』というのが、どこまでWEB上に適用されうるのか?」ということなんですよね。というか、いわゆる研究者を対象にした、学術的な議論を目的とするサイトならば、当然そういう「約束事」は守られるべきなのでしょうが、ここで取り上げられているサイトたちは、「日々思ったことを気軽に書いている」という性格のものであり、学術的なルールに準じて書く、というのを要求するのはいかがなものかなあ、と。
こう言ってはなんですが、井戸端会議での噂話のレベルに、いちいち「ソースを出せ!」なんていうのは、ご近所さんに嫌われますよ。
 そもそも、WEB上に何かを書く人にはさまざまなスタンスがあるのです。公的なメディアですら、「東スポ」もあれば、「朝日新聞」もあるように。WEBというツールを使って気軽に感想を述べ合っているような人たちに向かって、「そういうのは、『学術的』じゃない!」とか言うのって、ひとことで言えば「不粋」なのではないでしょうか。
 でも、自称研究者とかいう人って、けっこうこういうタイプが実に多い。
 そして、いわゆる「天然荒らし」の中には、「TPOもわきまえずに、『学術的』を振り回す人」って、けっこういるのですよね、僕の実感として。
 社会的な「ルール」っていうのは、最低限の共通事項はあるにせよ、その状況によって、少しずつ違ってくるものです。論文や学会発表のレベルでの「許容範囲」と、世間話での「許容範囲」には、違いがあって然るべきです。にもかかわらず、個人サイトでの気軽な発言に対して「学術的に」噛み付く人が多くて、そういうハッタリに賛同する人がいるというのは、ちょっと嘆かわしいことです。寿司屋の符牒がわからないからといって、寿司屋以外の人間を批判するのは筋違い。実際は、そういう「符牒」を好んで使いたがるのは、「自称寿司通」だけなんですけどね。「WEBは世界に発信されているのだから」って言われても、現実問題として、全然読んでないよ世界中の人々なんて。
 個人の無料サイトレベルで「著者の全部の著作を読まないと、語るべきではない」なんていわれたら、WEBはあっという間に過疎地帯になってしまいます。まあ、正直言って、読んでいる人はそんなにバカじゃない、と僕は思うし、あまりに恣意的な孫引きや悪意を持った見方しかしないサイトなんていうのは、どんなにアクセス数があっても「ヲチ対象」として嘲笑われているだけだと思いますが。

 実際にサイトに書いていて厭になっちゃうのは、「感想」に対して、「そんな感想を持つのは、『論理的に』おかしい!」とかいう反応を示す人がけっこういるということなのです。
 そりゃあ、僕だって、自分の好きなものをけなされたら嫌だしムカつきますけど、だからといって、「『デビルマン』つまんねえ!」と書いている人に対して、「自分は面白いを思った」と書くのはアリでも、「つまらない、なんて思うのは『論理的に』おかしい!」とか反応するのは、やっぱりどうかなあ、と思うんですよね。
いや、自分は「感情」を出したいだけで、「論理」を語りたいわけじゃないんだ、と。

 基本的に「孫引き」というのは、良かれ悪しかれ「世間話的な話題を取り上げる個人サイトにとっての文化のひとつ」になっています。もちろん、あまりに恣意的な孫引きの仕方や(そもそも、「どこを引用するのか」ということそのものにも、引用者の恣意が入ってはいる)的外れな感想はどうしようもないと思いますが、あまりに「学術的」になりすぎるのって、それはそれでつまんないよなあ、感じます。ここは、僕たちの「遊び場」じゃなかったのか?と。
「学術的にインターネットを使いたい人」は、それはそれで構わないのだけれど、それを「共通のルール」を考えるのは、ちょっと違和感があるのです。
僕も「学術論文」を書くことがありますが、あんなめんどくさいルールは、あの世界の中だけでお腹いっぱいなんですよ。有料サイトや企業サイトなどの「実益」を伴うサイトならともかく。まあ、実際には「原典」とか「自分が引用していることの信憑性」に敬意を持たない、孫引きばっかりやっているようなサイトは、自然消滅していく場合がほとんどなんですけどね。

 ところで、これを読んでいていちばん感じたことは、要するに、これを書いた人が語りたいのは「自分は有名サイトの人と仲良しなんだぜ!」ということなのではないか、ということなのです。「メールで尋ねたら教えてくれた」って、いうのは、賞賛されるべきことではなくて、「わかっているなら、最初から出典を書いておけばいい」ということだし。僕は村上春樹フリークですから、あの話には読み覚えがありますけど(でも、どのエッセイに収録されていたかまではわからなかった)、「村上春樹さんのエッセイに」というだけの情報で、「原典にあたれ!」とか言われても、そんなにムリに決まってます。全エッセイを読破しなければ、「感想」も言ってはならないのか、と。

 意地の悪い言い方をすると、結局は「論理的な正しさ」を語っているようで、その本質は、内容を語っているフリをして、サイト管理人に対する「好感」と「嫌悪感」をあらわしているだけでしかないことって、けっこう多いと思うのですよ。この場合で言えば、小町さんとは交流があって「好き」だったんでしょ?って。いや、基本的に人間関係ってそういうものだと思うし、別にそれは悪いことじゃない。僕もああいう揚げ足取りっぽい「引用」に対してはムカつきますし、「書いたものを書いてあるように読んで欲しい」といつも思っていますし。
 でもまあ、「俺の好きなものを嫌いと言うヤツは嫌い」ならば、素直にそう書けばいんじゃないのかなあ。
 たぶん、これが「芸風」なんでしょうけど。

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