琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

「知識」と「人生経験」

http://anond.hatelabo.jp/20070314201650

 ネタにマジレス、って言われてしまいそうなのだけれども。

 何ヶ月か前に、披露宴で紹介するプロフィールを作るために小さい頃からの思い出や「どんな子供だったのか」を司会者やプロフィールビデオを作る人の前で語る機会があったのですが、僕の小学生から高校生までって、まとめてしまえば「本読んでマイコンいじってゲームしてそれなりに勉強して、はいおしまい」って感じだったんですよね。そりゃあ、実際にその時代を生きていた頃には、マラソン大会イヤだったなあ、とか、転校して最初の頃は周りと合わなくて辛かったなあ、とかいろいろ感じて必死に生きていたのですけど。
 生徒会の役員になったわけでもなく、女の子とドラマチックな出会いや別れがあったわけでもなく、その一方で、万引きをして補導されたこともなく(そういえば、ゲームセンターで警察の手入れに遭いそうになってトイレの窓から逃げたことはあったな。でも、あれは本当に『スパルタンX』と『ドラゴンバスター』がやりたかっただけだったのだが)、盗んだバイクで走り出したこともない。学生時代にこっぴどく起こられたのって、小学校時代に掃除当番をサボって帰ったとき、翌朝の全校集会で担任の先生にビンタされたときくらい。ほんと、賞罰なしの子供時代だったし、周囲からみれば、扱いやすい子供だったと思う。まあ、当時の僕は僕で内心「不良になるなんて人生の無駄遣いだ」とか考えていたように記憶しています。嫌な同級生には、「お前が将来俺のところに金借りにきても貸してやらないからな」とか心の中で毒づいていましたし。ああ、恐ろしい子

 要するに頭でっかちで「知識だけが肥大したオトナコドモ」だったわけだけれども、大学に入ってからずっと、僕は自分の「人生経験の不足」にコンプレックスを抱いてきたのです。

どんな話題を振られても難なく返すことができ、
ちょっとした蘊蓄を披露して、周囲の人間を感嘆させる力がある。

自分より上の年代の人と
1960年代に起きた世をにぎわせた犯罪の話や
流行の変移の話をしていたら
「よくこんな古い話についていけるね」と驚かれ
「きみみたいな若い子は初めてだよ」とまで言われた。

 うん、それはそれで「スゴイこと」なんですけどね、でも、「どんな話題にもついていけるという程度の知識」なんていうのは、人を感心させても、感動させられるようなものじゃないんだよね。むしろ、生半可な知識をひけらかすことは、コミュニケーションを疎外する。僕も年を取ってきてわかったのだけれども、年寄りが若者に向かって「ついていけそうもない話題」で語りかけるとき、彼らが本当に求めているものは「あっ、それ僕も知ってます」というふうに話についてきてくれることじゃなくて、「へぇ、そんなことがあったんですか、僕、全然知りませんでしたよ。すごいなあ……」という感嘆です。だから僕は「知識として」知っていることでも「そうなんですか、知りませんでした。そんなことがあったんですね!」と知らないフリをすることがよくあります。

 「本で得た知識」に偏った人生を送って、大学に入り、就職活動に苦労することもなく、10年付き合ってきた彼女と大きなピンチもなく結婚した僕にとっては、いくら「本で得た知識」があっても、「他人に面白おかしく話せるような実体験」がほとんどないというのは、ものすごくコンプレックスを感じるのです。恋愛の修羅場とか、学生時代にやった「悪さ」だとか、部活で死ぬほど練習してインターハイで活躍したこととか、誰かに語るべき「体験」がないというのは、本当に悔しくて悲しい。

 僕の「知識」には、「痛み」が伴っていない。

 「そんなの贅沢だ」って言う人もたくさんいるのは知っているけれども、傍からみて順風満帆な人生というのも、それはそれでコンプレックスになったりもするのです。パイロットの多くは胴体着陸なんてやりたくないに決まっているのだろうし、そんな事態を避けるために日々「見えない努力」を積み重ねているはずなのだけれど、「大きな事故やトラブルと無縁だったパイロットたち」は、引退するときに、ちょっと寂しくなったりすることもあるんじゃないかなあ。「俺のパイロット生活は、何も『面白いこと』が無かったな」って。

 実際の披露宴では、スタッフがそれなりの「脚色」をしてうまく仕上げてくれたみたいで、僕も内心ホッとしたし、「語るべき経験」がそんなに無い人間なんていうのは、そんなに珍しくはないのかな、と思ったんですけどね。

 僕のような「人生経験コンプレックス」の人間も、世界に僕ひとりじゃないだろうから、森博嗣さんのこんな言葉を紹介しておきます(「活字中毒R。(7/11)より)。

「僕の夢 君の思考」(森博嗣著・PHP文庫)より。

(森さんが書かれた作品の中から印象に残るフレーズを編集者が抜き出し、そのフレーズに森さん自身がコメントを付けられたものです。)

【どうして変化に対して人は臆病になるのだろうか、と考える。そんなことを考える自分を自覚して驚く。きっと、失敗したとき元どおりに戻れない、という心配(あるいは予測)があるからだろう。結局のところ、失敗の大きさをどう見積もるか、にすべての判断が帰着するように思える。しかし、人はどんなときでも後戻りはできないのだから、永遠に真の答など得られない。〜『恋恋蓮歩の演習』(88頁)

このフレーズに対する、森さん自身のコメント
 経験できるのは、僅かに自分の人生一回だけだ。他人の人生も、自分の別の人生も、無理。人生経験が豊かな人というのは、基本的に嘘である。

 考えようによっては、「10年以上も同じ彼女と付き合う人生」と「10年間で10人の女性と付き合う人生」のどちらの「価値」が高いってものでもないのかもしれないし、「知識を積み重ねるだけの人生」っていうのも、それはそれでひとつの選択肢なんでしょうけどね。

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