琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

新・ある中堅サイトの光芒(4)

新・ある中堅サイトの光芒(1)
新・ある中堅サイトの光芒(2)
新・ある中堅サイトの光芒(3)

↑の(1)(2)(3)の続きです。

<第3章>「テキストサイト」の時代

こうして、それなりには人が来てくれるようになった『プロジェクトF』だったのだが、2002年の後半から2003年のはじめくらいは、まさに「頭打ち」の状態になってしまっていた。もう、「読むべき人たち」には読まれ尽くしているのではないか、などとも思った。いろんなところでアピールする方法も考えてはみたのだが、「2ちゃんねる」に晒すとか、宣伝書き込みをしまくる、というようなのはやっぱり恥ずかしいので実行することはできず、「そろそろ限界かなあ」と煮詰まった気持ちにもなっていたのだ。
創めたころの「1日10人自分の知らない人が来てくれていたら万々歳」という状況を思えば贅沢極まりないのだけれども、人間の欲望というのは限りないもので、「せっかく書いているのだから、もうちょっといろんな人、もうちょっとたくさんの人に読んでもらえないものか……」と悶々とする日々だった。また、当時はデスクワーク中心の研究室勤務になったため、私生活でも正直スランプだったのだ。誰も知っている人がいないところで、今までやったこともない仕事をやるというのは、環境の変化に弱い僕にとっては、ものすごくストレスフルだった。今から考えると、あのときは、「重度のネット依存」だったのではないだろうか。

ある夜、いつものように「テキストサイト界隈」を巡回していて、僕の目に留まったネット上の「お祭り」があった。
それは、「テキストコンテスト」という「テーマに沿ったテキストを10人の参加者たちが書いて発表し、読んだ人たちが面白かったものに投票して勝負する」というもの。それまで、第1回、第2回が行われていたらしいのだが、僕がこのイベントの存在を知ったのは、この「第3回」がはじめてだった。
しかし、その存在を知った後も、正直、自分で参加するという気持ちには、なかなかなれなかったのだ。当時の「テキコン」は、「もともと仲良しだった人たちが内輪で盛り上がっているイベント」のように見えたし(いわゆる「テキコン界隈」ってやつ)、どう考えても僕がやっているサイトは「場違い」だろうな、としか思えなかったし。

でも、ある夜、僕は不意に「決断」してしまったのだ。少し酔っ払っていて勢いで参加表明をしてしまったような記憶もある。
たぶん、「なんでこんなサイトが出てきたんだ?」と、主催者のTAKEXさんも首をひねっていたのではなかろうか。
こうして、「サイト運営に閉塞感を感じていた男」の無謀な挑戦が始まった。

参考:『第3回テキストコンテスト』

話せばものすごく長くなってしまう話なので、興味がある方は、
テキストコンテスト戦記
を読んでいただきたい。しかし、「読んでいただきたい」とか書いたけれど、あまりに自意識過剰な文章で、あらためて読み返してみたら激烈に恥ずかしいな。あと、デッドリンクだらけなのもどうか御容赦ください。ネットの世界にとって、3年半というのは、いろんなものを風化させたり、変化させたりするのに十分な時間なのだから。

それにしても、当時の僕は、とにかくいろんなものに噛み付いてばかりだったように気がするので、関係者各位には、あらためてお詫び、そしてお礼を申し上げたい。「テキストコンテスト戦記」にも書いたのだけれども、このイベントのいちばん凄いところは、「ネットで行われたさまざまなテキスト関係のイベントにおいて、数少ない『完走』したもの」であったということだと思う。ほんと、あの頃はテキストサイト華やかなりし頃で、いろんなテキスト競争とか雑文祭り、ネットウォッチサイト(一度くらい『ダークマター』に取り上げてもらいものだなあ、とか思ってたんですよね)が乱立していたのですが、とにかく中途半端なものが多くて、募集はしたものの発表されないとか、主催者が内部抗争をくり広げたりとかで、本当に「完結」したものは、ごくごくわずかだったのです。「テキコン」の結果発表のイベントがロフトプラスワンで行われているのを、職場で仕事をしながら(途中で仕事は手につかなくなったのですが)ヘッドホンで聴いていたのは、今でもよく覚えている。
テキストコンテスト」によって、確実に僕の世界は広がりました。今まで来てくれていた「医療関係者」「テキスト庵で知り合った人たち」とともに、いわゆる「テキストサイトの人たち」「テキストサイトを愛する人たち」にも少しは読んでもらえるようになったという手ごたえがあったし、アクセス数も、盛況なときは「トータル200/日(ユニークはその3分の2)」くらいまで増えた。僕は本が大好きで、文章を書くのも大好きだったので、こうして「テキストサイトの人たちの世界」の隅っこに小さな居場所を確保できたというのは、とても嬉しいことだった。まだ仕事にも職場の人たちにも慣れておらず、やたらと淋しくて辛かった時もあり、もし『プロジェクトF』があの時代になかったらどうなっていたのだろう?と今でも考えることがある。もしかしたら、もっと仕事に邁進してすごい論文とか書いてた可能性も……ないかやっぱり。

しかし、今から「歴史」の一部として「テキストコンテスト」を振り返ってみると、あれはまさにネット上で「テキストサイト」という文化が上げた最後の花火だったのかもしれない。
さかのぼってみると、この『琥珀色の戯言』が最初に書かれているのが2003年の2月17日。当時はまだなんだかよくわからなかったけど話題にはよくのぼっていた「ブログ」を「『はてな』というサービスが、500人(だったかな、確か)限定でβテストをやるらしい」ということを聞いて、借りてみたのが、ちょうどこの第3回のテキコンの開催と同じ年だった。
「ちょっとパソコンに詳しい高等遊民のサロン」だった「テキストサイト」は、少しずつ「パソコンの知識が無くても運営できて、他の人とも繋がりやすい」という「ブログ」の波にのまれていくのです。当時の僕たちは、「ブログなんて邪道だ」なんて、胸を張っていたのだけど。

ようやく「中堅(テキスト)サイト」に成り上がったかのように思えた『プロジェクトF』。しかしながら、その直後に、僕はこのサイトを閉鎖することになってしまうのだった。

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