琥珀色の戯言

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香山リカさんを「無能」と切り捨ててしまうことへの違和感

参考リンク:いま、香山リカ女史の無能さがヤバい: やまもといちろうBLOG(ブログ)


僕もあの『朝まで生テレビ』を録画して観たのですけど、それはもう、胸がすくくらいの打ち負かされっぷりでした、香山さん。
なんかもう、「さんせいのはんたいは、はんたいなのだ!」って感じにも見えましたし。


でも、こういうネットでの香山さんへの厳しい反応をみていると、「そこまで言わなくても……」という気がしてくるんですよね。


1年ほど前、香山さんの自伝が新書として発売されました。


『「だましだまし生きる」のも悪くない』感想(琥珀色の戯言)
この中で、香山さんは、こんなふうに語っておられます。

自分の半生について、語る。
 なんとむずかしいことか。いや、複雑すぎてむずかしいわけではない。
 私の場合、人生があまりに単純すぎて、語るべきことも何もないのだ。
「約半世紀前に生まれて、大きな病気もせず、これといって目立った業績もドラマもなく、子どもも産まず、ダラダラ仕事をしながらこの年齢に」


 ――すべては、これで語りつくされてしまう。

「流されているうちに、なんとなくここまで来てしまった人生」のように書かれているし、たぶんそれは「事実」なのでしょう。
香山さんほどの「有名人」「成功者」であっても、本人の感覚というのは、こんなものなのかもしれません。
実際「あなたは、何かオリジナリティのある作品を残したのか?」と問われたら、香山さんは考え込んでしまうのではないでしょうか。
「消費され、忘れられること」に対する諦念も、香山さんのスタイルのような気もしますけど。

 感情的にも起伏が少なくて、極端にハイテンションなこともなければ、落ち込みすぎることもない。「低め安定」がずっと続いているんです・
 落ち込んで、「ああつまんない」とか、「ああなったら嫌だな」とか思うことが、あんまりないんですよ、結果的に。
 なんだろうな……自分って、「頭が昆虫みたい」って言ったらおかしいけれど、あまり先のこととか、視野を広く考えられないんです。
 そんな人が本を書いたりして、読まされる人には、なんか、いつも申し訳ないと。目先のことに喜びを感じて終わるって感じですね。オタクの人にありがちなの。
 目先のこととバーチャルなこと、一方で世界規模のこと……その両極端に興味があって、中間がないんでしょうね。それは、父から譲り受けているのかもしれません。

 私、いま勤めている病院も、もう8年ぐらい勤めていて、「ずいぶんいるな」と思ったんです。世の中の流れを見つつ、どんどん転職してステップアップするとか、そういう発想が全然ないんですよ。流れに身をまかせているだけだから。
 仕事と恋愛の比重も、「仕事を優先に」と考えていたわけではなくて、仕事は、病院に行ってしまえば病気の方がいるから、「診ざるをえない」という感じですよね。

「じゃあ対案を」と問われて、「それは精神科医である私の領域ではない」と答えた香山さん。
「専門外のことで、無責任なことを言ってはならない」というのは、「医者的な態度」ではあると思います。
 香山さんの場合は、それが貫かれているわけではなく、普段からいろんなところに首を突っ込んでいるので、責められてもしょうがない発言ではあるのでしょう。


 ただ、僕は橋下さんの「強さ」「人々を説得する力」に、香山さんが「なんとなく怖い」という気持ちを抱いているのも、わかるのです。
 勝間さんとの論争のときから「ひたすらがんばることを強要する人」から、「ほどほどにしか、がんばれない人たち」を守りたいというのは、香山さんの一貫したスタンスですし。


 この新書のなかで、香山さんの弟さん(中塚圭骸さん)が、こんなエピソードを紹介されています。

 姉ちゃんはね、本当はすごく「熱い人間」なんです。
 1989年の宮崎事件のとき、彼が逮捕された日に姉ちゃんは僕の部屋に来ていて、ふたりでテレビのニュースで知ったんです。そのとき、宮崎の部屋がテレビに映し出されて、ビデオやロリータ本などが山積みにされて足の踏み場のないような場面が映し出されましたよね。あれを見て、姉ちゃん、シクシク泣き出したんです。そしてその後、「お前の部屋と同じだ! 一体、お前と宮崎はどう違うっていうんだ!」って叫んで号泣したんです。当時23歳の僕の部屋は、宮崎の部屋とまるで同じようなものだった。姉ちゃんは、僕の将来を心配したのかもしれません。


 それと、2009年の夏に、YMOが出場した夢の島でのフェスに、姉ちゃんとふたりで行ったことがあります。YMOが出てきただけで、姉ちゃん、恍惚の表情になっちゃってるんです。最後にはステージに向かって、「ど〜も〜、ありがとう〜ッ」って絶叫してるんですよ。その興奮しきった姉ちゃんを見て、僕は「コイツ、夜、こんな顔してんじゃねえか!?」と思ったくらいですよ。姉ちゃんのこんな姿、世間の人は想像できないと思うんです。
 つまり、世間には姉ちゃんの素の「熱さ」=「よさ」がぜんぜん伝わっていない。

 このエピソードと、さっきの本人の述懐をあわせて読むと、なんだか変な感じですよね。
 「自分では冷静だと思い込んでいるだけで、他者からみせば感情の起伏が激しい中年女性」のような気もします。
 その一方で、「サブカル人生」を送ってきた香山さんは、橋下さんの「強権」をみて、「マイノリティが切り捨てられるのではないか」という危機感を抱くのも無理はないようにも思われるのです。


 小泉さんの「郵政民営化選挙」のときに、多くの人が「改革だ!」「自民党をぶっつぶす!」という言葉の甘美さ、これまで「惰眠をむさぼっていた」郵便局員・公務員たちが槍玉にあげられる姿に酔いました。
 ところが、郵政が民営化されても、(少なくとも僕の感覚では)何も変わらなかった。
 「恵まれている人」を叩き落としても、一時的な快感を得られるだけで、自分の立ち位置が変わるわけではなかったのです。
 僕はいまの橋下さんをみていると、あのときの小泉さんと同じような「わかりやすさ」と「言葉の強さ」を感じます。


 あの番組のなかで、橋下さんがずっと練ってきた政策に対して、「じゃあ今すぐ対案を!すぐじゃないとダメ!」ってプレッシャーをかけられながら、まともな答えを出すのは難しいと思います。
 言い淀んだり、少し考えさせてくれ、という態度ですら、「無能」だと認定するのは、あまりにも脊髄反射的だし、そういう「白か黒か」というわかりやすさこそ、「危険」ではないかと僕は考えているのです。
 そりゃあ、選挙前の候補者の公開討論会ならわかります。それは「政策」を比較するための場なのだから。
 でも、ああいう番組では、「まず、橋下さんの話をみんなで聞いてみよう」で、良いんじゃないかと思うんですよ。
 ところが、視聴者は「誰々が勝った負けた」という話ばかりになってしまう。
 「いまはまだわからない。もうちょっと考えさせてくれ」という答えのほうが、「誠実」である場合でも。


「橋下さんって、独善的で、なんとなく怖い」という雰囲気を引き出したのは、香山さんなりの「成果」じゃないかと思います。
 香山さんは、橋下さんの「政策」じゃなくて、「独裁者になりうる、人をひきつける才能」が苦手なのです、きっと。
 いまの橋下さんはそうではないのかもしれないけれど、そういう独善的な能力が権力を得て、「弱者」に対して振りかざされることを、香山さんは恐れているのではないでしょうか。・
 あの「M君事件」で、オタクが社会から排斥されたときのように。


 ただ、そういうのが本当に香山リカという人にふさわしい仕事なのかと言われると、僕もやっぱり疑問なんですけどね。
 周囲が香山さんに「そういう世間の話題に一枚噛むこと」を求めてしまうのか、彼女自身が、「なんだかさびしくて(単純すぎる人生を受け入れきれなくて)、『祭り』には参加せずにはいられない、という心の隙間」を埋めようとし続けているのか……
 

テレビの前で議論しても残る 橋下市政への違和感
ところで、この↑の記事「具体案や対案もなければ理屈も何ら通っておらず、単なる気持ちや感情を社会全体の空気に置き換えて牽強付会の論述に仕上げているだけ」と、やまもとさんにこきおろされていますが、そんなにおかしなこと言ってるかな……
 「政策」について論じるよりも、「気持ちや感情を社会全体の空気に置き換える」のが、香山さんの「仕事」であり、『朝まで生テレビ』の場合は、むしろ、テレビ局の「ミスキャスト」じゃないでしょうか。

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