琥珀色の戯言

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聞く力―心をひらく35のヒント ☆☆☆☆


聞く力―心をひらく35のヒント ((文春新書))

聞く力―心をひらく35のヒント ((文春新書))

内容(「BOOK」データベースより)
頑固オヤジから普通の小学生まで、つい本音を語ってしまうのはなぜか。インタビューが苦手だったアガワが、1000人ちかい出会い、30回以上のお見合いで掴んだコミュニケーション術を初めて披露する―。

「聞き上手」の効用って、最近よく耳にするような気がしませんか?
「聞き上手はモテる!」とか言われますし。

「話し上手」にいきなりなるのは難しそうだけれども、「聞き上手」には、ちょっと気をつければなれそうな感じがしなくもないんですよね。
ただ「他人の話を聞けばいい」のだから。
でも、実際にやってみると、「他人の話をうまく聞くこと」は非常に難しい。


この新書は、『週刊文春』で「この人に会いたい」という対談連載を20年続けておられる阿川佐和子さんが、長年の経験から「人の話を聞くためのコツ」について書かれたものです。
「インタビューのプロ」は、どんなことに気をつけて、他人から話を引き出しているのか?
この新書には、そのエッセンスが詰まっています。
とはいえ、「聞き方講座」というような堅い内容ではなくて、失敗談や、これまでに出会った有名人との対談での面白いエピソードなどもたくさん紹介されていて、読み物としても十分楽しめる内容だと思います。


「インタビューのとき、気をつけていること」には、こんな話がありました。

 同じ頃、たまたま開いた先輩アナウンサーの著書のなかに、面白い項目を見つけました。
「インタビューするときは、質問を一つだけ用意して、出かけなさい」
 そんなこと、できるわけないでしょ。と、私は笑い飛ばしました。なにしろ当時の私は二十項目のシミュレーション用紙をレポート用紙に書き留めてからインタビューに臨んでいたのです。質問を一つしか用意しないで出かけたら、一つ質問して、一つ答えが返ってきた時点で、「ありがとうございました。ではさようなら」と帰ってこなければならない。そんな怖いことができるものですか。
 でもその先輩は、こういう解説を加えていらっしゃいました。
「もし一つしか質問を用意していなかったら、当然、次の質問をその場で考えなければならない。次の質問を見つけるためのヒントはどこに隠れているだろう。隠れているとすれば、一つ目の質問に応えている相手の、答えのなかである。そうなれば、質問者は本気で相手の話を聞かざるを得ない。そして、本気で相手の話を聞けば、必ずその答えのなかから、次の質問が見つかるはずである」

実際は、阿川さんは「やっぱり一つだけだと不安なので、今は頭の中にだいたい3本くらいの柱を立てるようにしている」そうです。
ああ、「質問は一つだけ」に感心しながらも、3つ用意してしまう阿川さんの気持ちはすごくよくわかるし、「そのくらいがちょうどいい」のかもしれませんね。
「ここは話を変えたほうがいいな」ってシチュエーションもあるでしょうし。

この他にも、相槌のうちかたとか、聞きにくい話を突っ込むときのコツ、話しているときに相手のどこを見るか?などの実践的な話も紹介されています。
「人と話をするのが苦手な人間」(僕も含めて)にとっては、かなり参考になるはずです。


阿川さんの場合は、とにかくたくさんの芸能人・有名人と対談されているので、対談相手のさまざまなエピソードが織り込められているのも、この新書の大きな魅力です。

 俳優のモーガン・フリーマンさんにお会いしたときも、視線についての思い出があります。それは私の目ではなく、フリーマンさんの目のことです。
 ヒンギス(テニスプレイヤーのマルチナ・ヒンギス)さん同様、通訳の人に同席してもらい、私が日本語で質問すると、それを通訳さあんが英語に直し、ゲストのフリーマンさんが英語で答え、通訳さんがその答えを私のために日本語に訳してくれる。そんなやりとりを繰り返している途中、妙なことに私は気づきました。
 私が日本語で質問し始めると、それまでソファの背もたれに寄りかかったり、足を組んでリラックスした様子で話をしていたフリーマンさんが、突如、組んでいた足をほどき、前屈みになって、私の目をじっと見つめ、一生懸命、私の言葉に耳を傾けようとなさるのです。私はつい、吹き出してしまいました。
「日本語がおわかりにならないでしょうに、どうしてそんな真面目な顔で私の質問を聞こうとなさるのですか?」
 笑いながら尋ねると、フリーマンさんがこう答えてくださったのです。
「もちろん私は日本語がわからない。でも、あなたが真面目に質問をしてくれているときに、私も真面目な態度を取らなければ、失礼な気がしてね」
 もうね、それ以来、私はモーガン・フリーマンという役者さんが大好きになりましたね。もちろんそれ以前から、カッコイイおじさんだとは思っていましたが、その言葉を聞いてからは、大好きの度合いが十倍くらいに膨らみました。
 なんて素敵な人でしょう。そのときのフリーマンさんの目は、私を射貫くような鋭いものではなく、真摯で謙虚で、聞き手の私を安心させてくれるような温かみに満ちたまなざしでした。

この話を聞いただけで、僕もモーガン・フリーマンさんのことが大好きになりました。
ハリウッドの大物俳優で、しかも、通訳を介してのインタビューにもかかわらず、こんなふうにインタビュアーに接してくれる人であれば、きっと、他の場面でも、真摯に人に向き合っているのだろうな、というのが伝わってきます。
これは、逆に言えば、「あなたは『聞いているだけ』のつもりかもしれないけれど、あなたの『聞き方』は、相手にちゃんと見られ、評価されているのだ」ということでもあるのです。
「聞く」というのは、必ずしも「受け身」だけではないのだよなあ。
こんなふうに「聞いているだけ」でも、好印象を与えられる人もいるのです。


この新書では、さまざまな「人の話を聞くコツ」が紹介されているのですが、僕は、この新書の「まえがき」の、このエピソードに「他人の話を聞くためにいちばん大切なこと」が集約されていたように感じました。

さらに話は変わりますが、私は十年ほど前から、農林水産省などが主催する「聞き書き甲子園」という仕事を続けています。これは、全国の高校生百人がそれぞれ、森で働く名人百人のところを一人で訪ね、「聞き書き」をしてレポートをまとめるという活動です。森の名人とは、木こり、造林、炭焼き、枝打ち、椎茸作りなどに従事する職人のことですが、一昨年からは範囲を広げて、川や海の名人にも加わっていただくことになりました。
 さてそこで私が何をしているかというと、「これから森の名人のところへインタビューに出かけようといている高校生たちに、インタビューの心得のような話をしてやってください」
 そんな依頼を受けて、簡単なレクチャーをすることになったというわけです。実際のところ、高校生に課されたノルマはけっこう過酷です。もしかすると私の対談仕事より大変かもしれません。まず、見ず知らずの名人(ほとんどが60歳以上の高齢者)に電話をし、訪問する日を決め、当日は電車やバスを乗り継いで、森の奥へ一人で出かけ、「初めまして」と会った瞬間からテープを回してインタビューを始めるのです。助けてくれる大人はいません。ときに方言がきつくて、何を話しているのか聞き取れないこともあります。それでも高校生は諦めず、真摯に名人の人生や仕事について、聞き続けるのです。
 インタビューを終えると自宅へ戻って、自分でテープ起こし(これが大変だったと、どの高校生も泣いていました)をし、要点を拾い上げ、名人の一人語りのかたちでレポートをまとめます。
 半年後、百作品が集まったところで、私は高校生たちと再会します。そのとき、数点の優秀作品を発表し、その対象となった森の名人と、取材をした高校生を舞台にあげて、苦労話を伺います。
「いかがでしたか?」
 マイクを向けると、レポートをまとめた高校生の話。
「最初、名人に森の中へつれていってもらったんですが、このおじいさん、猿か、と思いました。高い木を縄一本でスルスルって、すごいスピードで登っていくんです」
 まだ恥じらいを残した小声で応えます。すると今度は名人が、
「いやあ、わしの話、聞きにきたっていうんだども、緊張しちゃって、なあんも質問しねっからさ。こっちが心配になってああだこうだと話してるうちに、な」
 レポーターである高校生に向ける名人の目は、まるで実のおじいさんのような優しさに満ちています。
 これは面白い、と私は思いました。この企画そのものの意図は、もはや跡継ぎもいなくなり、消滅するいっぽうの森の仕事を、若い高校生に知らしめることでした。少なくとも私はそう理解していたつもりです。ところが蓋を開けてみたら、その経験をして「大変だったけれど面白かった」と応える高校生の横で、嬉々とした表情を浮かべているのは、高齢の名人たちだったのです。
「最初、こんな孫みたいな若い高校生に、何を話せばいいんだか、何の役に立つんだか、わかんねかったけど、会って質問されているうちに、うれしくなっちゃってね。だって、家族も知り合いも、誰も自分の仕事のことなんかに興味持ってくれないからね。こんなに自分の話、長くしたことねえもんな」
 もはや「跡継ぎなどいらん! この仕事は自分でおしまい!」と豪語する名人たちが、「聞いてくれて、ありがとう」と高校生に感謝を述べている姿を見て、私は涙が出てきました。

 もちろん、「テクニック」は、無いよりは有ったほうが良いと思うんですよ。
 でも、「他人の話を聞くためにいちばん大切なこと」って、「その人の話をぜひ聞きたいと切実に思っていること」ではないかなあ。
 外国語でのコミュニケーションでも、そうなのだと思います。


 この「聞き書き甲子園」に出場している高校生は、それが「競技に勝つため」であるのだとしても、面識がなく、方言もわかりにくい「名人」たちの話を「聞きたい、聞かなければならない」と思っているはずです。
 彼らのインタビューのテクニックは、「緊張しちゃって、なあんも質問しねっからさ」と名人が仰っているように、稚拙なものだったのでしょう。
 しかしながら、彼らの熱意は、「インタビューされる側」の気持ちも動かし、結果的に、名人たちのほうが「聞こうとしてくれる人に、話ができる喜び」を見いだしています。


 この新書のなかで、阿川さんはさまざまなテクニックを紹介されていますが、冒頭にこのエピソードが書かれているのは、「結局、いちばん大事なのは『あなたの話を聞きたい』という誠実な気持ちなんですよ」という意味なのではないかと、僕は考えています。
 実際は、「誰の話に対しても、『この話を聞きたい!』と真剣に向き合うのは難しいから、テクニックが必要」という面もあるのでしょうけど、「接したくない相手」の「聞きたくない話」って、何をどうやっても盛り上がらないですからね。


 「ノウハウ本」として堅苦しく読むのではなく、「名インタビュアーが、出会ったさまざまなインタビュー相手について楽しく語ったエッセイ集」として読んで、その結果、「ちょっとだけ人の話を聞くのが、好きになる」。そんな新書です。

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