琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「走る爆弾娘」を匿った男

参考リンク(1):同居の男「結婚申し込んだが断られた」(msn産経ニュース)

参考リンク(2):【画像あり】 オウム菊地直子が潜伏していた家がボロすぎると話題に こんなとこに人住んでたら怪しすぎるだろ…(ニュース2ちゃんねる)


朝のニュースで、「走る爆弾娘」こと菊地直子容疑者が逮捕されたというニュースを知って驚きました。
17年間も行方が知れず、もう生きていないんじゃないか、などと勝手に想像していたので。


お昼ごはんのとき、6年間菊地さんと一緒に住んでいたという男性のことが話題になりました。
偽名で働いていた菊地さんと知り合い、プロポーズしたのだけれど、「私は菊地直子だから、あなたとは結婚できない」と断られ、その後も同居していたという男性。


ワイドショーで、ふたりの「隠れ家」が紹介されていたのですが、よくこんなボロい(というのは失礼ですね)というか、年季の入ったところに住んでいたなあ、と驚きました。


で、菊地さんと同居していた男性についてなのですが、僕の周囲では、「人としてはたいしたものだ」と、けっこう好感度が高かったのです。
もし自分がこの男性の立場だったら、目の前の人が、あの「走る爆弾娘」だったとして、「そのまま一緒に生活する」ことを選択するだろうか?
僕だったら、とりあえず「距離を置く」けど、「警察には通報できない」かな……
この男性は、その「恐るべき事実」を知ったあとも、ずっと一緒に生活してきた(そして、匿ってもきた)のだから、すごいものだな、と。


よっぽど好きだったのか、それとも、もう引き返せないと思っていたのか。
それなりの額の懸賞金もかかっていたし、結果的に、この男性も「知っていて匿っていたのなら」ということで、逮捕されてしまいました。
そうなる可能性があることは、たぶん、わかっていたはずなのに。


彼の行動は、「社会正義」という観点からみれば、とんでもない間違いではあるんですよね。
菊地さんは、サリン事件の主要な犯人のひとりであり、全国指名手配中の「危険人物」です。
サリンの犠牲になった人たちからすれば、「そんな人間を知っていて匿うなんて、ひどい男」でしょう。
菊地容疑者は、自分のやったこと相応の刑に服するべきです。


でも、ひとりの人間として考えると、「好きになった人を、そう簡単には見捨てられない」というのもよくわかるのです。
事実を知って、すぐに警察に通報する「正義の人」よりも、この「匿ってしまった男」に、共感してしまいます。
もちろんそれは、僕自身が一連のオウム事件の直接の被害者ではないから、なのですが……


「個人として、ひとりの人間としての情」と「社会の一員としての正義」というのは、両立できない場合もあるのだよなあ、と、あらためて考えさせられる話でした。
その場合、どちらを選ぶのが、「正しい」のだろうか?
「本人のためにも、通報したほうがいい」というような考え方もできるのだろうか、でも、現実的には、そこまで悟れないよね……

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