琥珀色の戯言

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【読書感想】高倉健インタヴューズ ☆☆☆☆☆


高倉健インタヴューズ

高倉健インタヴューズ


Kindle版もあります。

内容紹介
ほとんど取材を受けない高倉健が認めた貴重なインタヴュー集

初めて語った「何度も見た映画のこと」
一言一句、僕のセリフへの想い
日本人の心を射止めた「名言」分析
「あなたへ」最後の映画俳優の演技
……ほか、ファン待望の永久保存版「発言集」


内容(「BOOK」データベースより)
一九九五年から二〇一二年…。日本最後の映画俳優を追い続けた著者の一八年の集大成が一冊に。健さんの仕事観、人生観、好きな映画まですべてがわかるインタヴュー集。


実は、僕自身の高倉健さんのイメージといえば、「不器用ですから……」と、映画『鉄道員』で、寡黙な駅員として笛を吹いている姿くらいで、正直、なんでみんな、「高倉健」という俳優に、ここまでこだわっているのだろう?と思っていたんですよ。
北野武監督も、事あるごとに「健さんはすごい」って仰っていますし。
任侠映画のスターだった高倉さんに対して、ある意味「過去の栄光の記憶にみんな引きずられているだけなのではないか?」などと考えていたのです。


そんな中、手にとってみたこの『高倉健インタヴューズ』だったのですが、読んでいて、僕はすっかり「人間・高倉健」に魅せられてしまいました。
ああ、もっと健さんの映画を観ておけばよかった!
(これから観てみようと思ってはいますけど)


高倉健さんは、ミステリアスというか、ほとんど私生活を明らかにしておらず、インタビューを受ける機会も少ないのだそうです。
そんな寡黙な映画俳優が、18年間に語った言葉が、この本のなかには収められています。
高倉健自らの言葉だけではなくて、一緒に仕事をしてきた人たちが「健さん」について語っているのですが、これが本当に「みんなにとって、いかに高倉健が特別な存在なのか」が伝わってくる話ばかりなんですよ。


高倉健さんは、これだけ有名な俳優であるにもかかわらず、ずっとマネージャーもおらず、「身の回りのことやスケジュール管理は自分でやっている」そうです。
俳優であるために、(撮影がある日以外でも)毎日髪を整えたり、海外ロケに行くときには、「主役である自分の身体のトラブルでスケジュールを狂わせないように」パックごはんとレトルトカレーを持参していたり。
とにかく映画が好きで、プライベートでもたくさんの映画を観ていたり。


その一方で、健さんは、ときどき、ちょっと生々しい話もしています。

 俳優になろうと思ったのはお金がほしかったからです。恋をした人がいて、その人と暮らすためにお金が必要でした。

「出演作を決める基準は?」という問いに対して、

 選ぶ基準ですか? もちろんホン(脚本)の中身を読んで決めるのですが……。僕はギャラの額を大切にします。どれだけ僕のことを必要としているのかはギャラでわかりますから……。それと、出演するときにはすべての権利を戴くようにしています。出演料はもとより、再使用のお金、テレビでの放映、ビデオやDVDにいたるまで、今まで日本映画の俳優さんが取ってこなかった権利をひとつでも多く戴きます。だから権利については出演前に必ず交渉します。そして、撮影に入る前から多くのものを背負っていれば、励みになりますし、自分を追い込むことにもなる。「今日はつらいから撮影をやめる」なんて絶対に言えなくなります。

 「良い作品であれば、お金は二の次で出演を決める」って感じの人なのではないか、と僕は思っていたのです。
 でも、御本人がこういうふうに「明言」されていることに、僕は清々しさを感じずにはいられませんでした。
 最近は数年に一度くらいしか映画に出演されていない高倉さんですから、たしかに「それなりのギャラをもらわないと、生活が成り立たない」のかもしれません。
 しかしながら、このインタビューを読んでいると、いまの健さんって、「お金が欲しい」のではなくて、「高いギャラと多くの権利を自分に課すことによって、自分へのハードルを高めている」のではないかと思います。
 「お金じゃない」って言いながら、仕事をはじめてみると「こんな安いギャラで働いてやっているんだから」と言い訳をはじめてしまう人は少なくない。
 でも、健さんというのは、「自分につけた値札だけの仕事は必ずやる」のです。
 「自分を高く売る」というのは、すごく怖いことなんだよなあ、僕からすれば。


 1977年に公開され、大ヒットした映画『八甲田山』の過酷なロケ(3年間、合計185日間も「明治時代の服装で」雪のなかにいたそうです)を振り返って。

 毎日、朝4時半に起きて……。朝が弱いなんて言ってられないよ。軍隊の装備をつけてメークアップして6時に点呼をとる。それからロケ地まで3時間くらい進軍して(笑)、帰ってくるのなんか夜中の2時、3時ですよ。演技なんか考えている余裕はなかった。どうやって体を持たせるか。撮影のない夏にはジムに通って健康管理して。僕だけじゃありません。なかには体の弱い仲間もいたから、そいつにはオフの間のトレーニング方法やビタミン剤の飲み方まで教えたりもしました。
 あのときは芝居なんて考えられなかった。雪のなかで立ってるだけでやっとの演技で、まるでドキュメンタリーを撮っていたようなもんだよ。ただ、まわりの俳優さんは「高倉健が我慢してるんだから」と何も言わないでやってたところもあるよね。今になって思えば僕が代弁して「こんなことはできません」と言えばよかったのかもしれないなあ。でも、言わないんだよ。僕には言えない。何も言わないで厳しいところへ出ていってしまう。それがいいことなのか。それとも悪いことなのか……。

 この映画、カメラマンの木村大作さんの話によると、あまりに過酷すぎて、撮影中に「脱走兵」まで出たのだそうです。
 その翌日には、「脱走兵の見張り番」まで作られたのだとか。
 小学校時代に、この映画の有名なセリフ「天はわれを見放したかーーーっ!」を同級生たちと真似して笑っていた僕としては、なんだか申し訳なくなってきます。
 そんな過酷な現場で、「高倉健が我慢してるんだから」とみんなに思わせてしまう存在。
 いや、こういう場合、誰かが健さんに愚痴をこぼしたり、「健さんに代表として物申してほしい」というのが「一般的な反応」だと思うのです。
 ところがみんな「高倉健の姿を見て」何も言わずに耐え抜いた。
 こういう「そこに存在しているだけで、みんなをまとめてしまう人」こそ、「真のカリスマ」なんだろうなあ、と。
(ただし、このインタビューを読んでいると、「存在している」だけではなくて、共演者にすごく気を配ってもいるし、自分がいちばんキツイところを受け持っているのも高倉健、であることもわかります)


 このインタビュー集では、高倉さんが「演技」について語っているところも興味深かったです。
 「心」というものを仕事上も私生活でも重視している高倉さんなのですが、演技に関しては、「精神論」で語ろうとはしません。
 「セリフのうまい下手よりも大切なことがある」という話のなかで、こんな話をされています。

 でも、本当に嬉しい、もしくは悲しいと感じたとき、人は「嬉しい」とか「悲しい」なんて言葉を口にするでしょうか。僕はしないと思う。声も出ないんじゃないか……。
 すぐれた脚本家は言葉で悲しさを表現するのではなく、設定で表現するんですよ。極端な話、ハーモニカを吹くだけでも悲しさは表現できるし、息遣いを感じさせるだけでもいい。それでも俳優の演技がうまければ、観客に悲しさは伝わります。セリフだけが表現じゃありません。僕は大上段に振りかぶってやたらと大声を出す映画には本当の力はないと思う。思っていることを低い調子で、そっと伝える映画に出たい。

 黒澤(明)監督が演技について話されていたことをうかがったことがあるんです。いえ。直接ではなく、非常に近いところにいた方から聞きました。
「形を真似ろ」と。心や感情はいつでも真似ができる。俳優を一年もやれば心のなかで悲しい気持ちを作ることなんて誰でもできる。だが、悲しみを形で表現することは難しい。そのためには古典を勉強しろ。そうおっしゃったそうです。

 高倉さんという人は、「何を演じても高倉健」のようにみえるのだけれど、ものすごく映画について勉強をしているし、演技についても考え抜いている人なのです。
 「人格」の素晴らしさはもちろんなのだけれど、何よりも、俳優としての力があるからこそ、映画関係者は高倉健と仕事をしたい、と思うのですね。


 この本のなかには、高倉健という人間の魅力的なエピソードがたくさん紹介されています。
 そんななかで、僕にとっていちばん印象的だったのは、宇崎竜童さんが『四十七人の刺客』という映画のなかで、高倉健さんに助けてもらったときのことを語った、こんな話でした。

 私(著者)が宇崎竜童に踏み込んで尋ねたのは次のようなことだ。
「では、私たちは高倉健の言葉や心の使い方をどう真似すればいいのか」と。
 彼の答えはシンプルだった。
「高倉さんにいただいたものは返せません。返したいけれど返せないほど大きなものをいただいている。できるとすればたったひとつ。私が後輩や新人に高倉さんからもらったものと同じものを渡すこと。その人のいいところを見つけて、大局的にほめてあげること。そんなことを気づかせてくれるのは高倉さんだけです」

 僕も学生時代に先輩からご飯をおごってもらったときなどに、この「後輩に同じようにしてやってくれ」という言葉を何度も聞いた記憶があります。それはそれで、ちょっとカッコイイなあ、とは思ったけれど、正直、「ええかっこしい」のようにも感じていました。
 しかしながら、この宇崎さんの場合は、高倉さんから直接そう言われたわけでもないのに「これは後輩に、未来に渡すしかない」と「気づかせてもらった」のです。
 この差は、すごく大きい。
 というか、そんな人が、この世の中にいるのだなあ、と。


 なんというか、「そうか、まだ日本には、高倉健がいるのだなあ」と頼もしく思えますし、それと同時に、「高倉健に見られても恥ずかしくないように生きたいなあ」なんてことを考えてしまう本でもあります。
 「ちょっと変な人」ではあるんですよ。「単にすごく真面目なだけの人」じゃない。
 僕のように「高倉健が、なんでこんなに特別視されているのか、よくわからない」という人に、ぜひ読んでいただきたいインタビュー集です。
 とりあえず僕も『八甲田山』と『鉄道員』をもう一度観てみようと思います。
 もちろん、最新作『あなたへ』も。

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