琥珀色の戯言

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【読書感想】キャリアポルノは人生の無駄だ ☆☆☆☆


キャリアポルノは人生の無駄だ (朝日新書)

キャリアポルノは人生の無駄だ (朝日新書)


こちらはKindle版です。

キャリアポルノは人生の無駄だ

キャリアポルノは人生の無駄だ

内容(「BOOK」データベースより)
自己啓発書を読んで「オレって何かスゴイ」と興奮するが、現実が改善された形跡がない…そういうあなたは「キャリアポルノ依存症」です!マネジメントの不在を社員の精神主義でカバーする日本の労働環境と自己啓発書ブームの深い関係―。やる気がでれば、それでいいのか!?

Kindle版で読みました。
Kindle版は500円とワンコインなのですが、紙の本には音声ファイルが特典としてついてくるらしいです。


ついつい、「自己啓発本」の扇情的なタイトルを見ては、手にとってしまう僕にとって、身につまされる話の数々でした。


著者の造語である、この「キャリアポルノ」の語源は「フードポルノ」なのだそうです。
フードポルノ」という言葉も僕は知らなかったのですが、英語圏では「ウェブサイトや雑誌、テレビ、広告などで美味しそうな料理や調理する様子を紹介して視聴者・読者の気を引くこと(または、その料理そのもの)」をこう呼ぶのだそうです。

 フードポルノと同じように、自己啓発書というのは、目に見えない部分での努力や行動、勉強をすっ飛ばして、読むだけで自分の手に届かないもの、例えばかわいい彼女、素敵な家、もっとやりがいのある仕事、高い給料、楽しい友達などを想像し、自分が求めている欲望を満たすだけの「娯楽」に過ぎないのです。読むだけ、聞くだけ、見るだけでは、自分の欲しいものは手に入りません。
 いつまでたっても欲しいものは手に入らないので、延々とフードポルノを見つづける怠け者のように、次々に自己啓発書を買っては読んで、何となく自分が凄い人になったような気になり、実は何もしないのです。会社での仕事は中途半端で、仕事に本当に必要な会計や技術や語学の勉強はほったらかし、書類作りには身が入らず、お客さんや同僚の意見も無視します。毎日何か積み重ねて頑張ろうという気力もありません。何か新しい仕事を生み出そう、新しいものを書こう、こんなおもしろいことをやろう、これを作ったら素晴らしいに違いない、という発想も出てきません。自己啓発書を読んで真似すれば何とかなる、ショートカットを使って、痛みや苦痛を体験せずにお金持ちや成功者になれると思い込んでいるからです。その根本にあるのは、怠惰であり、模倣です。自己啓発書が好きな人々の心には、自由、進歩、貢献という言葉はありません。自己中心的な怠け者なので、世の中に貢献しようという気もないのです。
 自己啓発書の読者は、遊びではなく勉強のための本を買う意識の高いビジネスマン、という自己イメージをもっているかもしれません。しかし、自己啓発書が何十万部も売れているのにもかかわらず、なぜこんなに日本は不景気なままなのでしょうか。分別のある大人であれば持って当然の疑問のはずです。


「ダイエットの最も確実な方法は食事制限と運動療法」だということは、誰もが理解しているにもかかわらず、それはキツイしめんどくさいから、「裏技的ダイエット」が雨後のタケノコのように乱立しつづけているわけで。
人間は、ラクをしたい、そして、できれば他人より優位に立ちたい(僕もそうです)。

 つまり、日本の社会というのは、一般的には「和」を重視すると言われていますが、実はその「和」とは、集団から突出しない集団圧力であり、しかしながら、集団内では小規模なレベルで常に競争があり、他の集団とは激しい競争をしているという、実は競争好きな社会であるのです。
 日本人の競争好きは、店舗に行くと、やたらと「これは売り上げ何位でした」「わが社は業界何番です」と競争をあおるランキングが貼ってあることからわかります。特にヨーロッパでは店舗の壁にべたべたとチラシを貼ることは、インテリアの美観を損ねることもありますし(日本の人は町や店舗の美観にはあまり興味がないようです)、お客さんも何が売れ筋かなどには興味がないので、ランキングなど貼らないし、だいたいどこの店舗で何がどのぐらい売れているかを買う人が気にすることそのものが滑稽なのです。しかし日本では、お客さんは競争されたもの=ランキング上位のもの=競争に勝ったもの、を好むようです。
 さらに、雑誌やテレビで、やたらと「人気ランキング」が掲載されたり放送されているのも大変日本的です。そのようなランキング番組を、ゴールデンタイムやサラリーマンが帰宅したあとにお酒を飲みながら見ると思われる深夜番組で流しているのです。このようなランキングは、他の国ではあまり見られないものです。フランス、バングラデシュ、アイルランド、イタリア、ボリビア出身の友人たちは、日本のこの「ランキング地獄」を目にして「なぜ日本ではこんなに順位にこだわるのか? さっぱりわからない」と首を傾げています。

「和を尊ぶ」「仲良しグループ」のようなイメージを持たれがちな日本社会なのですが、たしかに、こういう「小さな競争好きな面」って、ありますよね。
「みんな同じ」でなければならないという圧力がかかるのは、常に他人と比べてしまう習性の裏返し。
比べなければ、同じである必要もないのだから。


ただ、この本は全体的に、ちょっと「粗い」のではないかと思うところも多かったのです。
著者のサービス精神が暴走してしまっているというか……


この本の前半では、自己啓発書が批判されているのですが、なかには、ウォルター・アイザックソンさんの『スティーブ・ジョブズ』なんかも含まれているわけです。
えっ、あれって「自己啓発書」なのだろうか……
僕はアイザックソンさんの『スティーブ・ジョブズ』は、「伝記」だと思います。
偉い人、成功した人が書いた本、あるいは、そういう人たちについて書かれた本は、みんな「自己啓発書」で「キャリアポルノ」っていうのは、さすがに乱暴なのではないかと。
それなら、『史記』とかヘロドトスの『歴史』も、キャリアポルノ、なのだろうか……


著者が「キャリアポルノ」のなかに含めている稲森和夫さんの『生き方』とか僕も読みましたが、「まあ、社畜養成ギブスみたいなものだけれども、こういう考え方で仕事をやる人を全否定することもできないよなあ」と感じたんですよね。
これはちょっと行きすぎ、と思うところもあるけれど、参考になるところも少なくありません。
矢沢永吉さんの『成りあがり』は、うーん、あれは「キャリアポルノ」なのだろうか……エンターテインメントとして消化している人が多いのではないかなあ……


もちろん、『金持ち父さん貧乏父さん』とか、与沢翼さんの『秒速で1億円稼ぐ条件』みたいな、「これはまさに『キャリアポルノ』だよね」としか言いようがない本のタイトルも多数紹介されているのですが。


「『キャリアポルノ』というジャンルがあるのはわかるけれど、著者の『キャリアポルノ』は、ちょっと範囲が広すぎる」と僕は感じました。


実は、著者が本当に言いたいことは、「キャリアポルノの悪口」ではなくて、「働く人たちにゴールのない競争を強いて、しかもそのレースの参加者たちに、効果がないと知りながら『自己啓発書』まで売りつける連中のあざとさ」なんですよね。
そして、「自分の生き方を、自分自身で考え直さなければ、いいように使い捨てられるだけだよ」ということ。
これは、著者が一貫して言い続けていることでもあります。

 なにせ自己啓発書では何が何でも「絶対」「完全」「秒速」「成功」なのです。表紙の時点で完璧にうまくいくことが確約されているようなものです。ラッシャー木村氏にマイクパフォーマンスで侮辱されようが、マツコ・デラックスさんに「あんたなんてチンカスだわ」などとなじられてもゾンビのように立ち上がってくる力がみなぎっています。
 自己啓発書はそもそも字を読むのが嫌いで努力も嫌いな人向けなので、難しい字や言葉は使っていません。そもそも、「一分間」で大金持ちになりたい人が読む本なので、辞書で調べないと意味がわからないような言い回しや言葉は使っていないのです。言語のレベルはだいたい中堅の高校に通う高校生くぐらいのレベルです。
 売れ筋の本になればなるほど字が大きく、行間の余白が大きいのも特徴です。これはなぜかというと、字が大きくて余白が大きければ早く読み終わるので「俺はこんなに速く本が読める。よし、この調子で大金持ちになる」というやる気を持ってもらうためです。著者は書くのも楽だし、編集も校正も他の本に比べたら楽なのです。まさに、売る方にも買うほうにもWin-Winのソリューション、それが自己啓発書なのです。

しかしながら、この本を読んでいてインパクトがあるのは、前半の著者が自己啓発書とその読者たちを「めった斬り」にするところ。
でも、そこが面白すぎて、読み誤られてしまうのではないかと心配になるのです。
「キャリアポルノを読んでいるだけで、自分が偉くなったような気分になる連中」を、「キャリアポルノを読んでいる連中をバカにするだけで、自分が『わかっている人間』だと錯覚する人々」が嘲笑する、という、ハイパーネガティブスパイラル優越感ゲームの引き金になってしまいそうなんですよ、この新書。


これを読んでいて、朝井リョウさんの直木賞受賞作『何者』の最後のところを思いだしてしまいました。
意識高い系」の知人をSNSなどで、ハンドルネームを使って物陰から嘲笑する主人公、しかし、「意識高い系」も、追いつめられ、もがいているのです。
自分では何もしないで、ただ、「あの人、『意識高い系』だよね」とバカにしているだけの人は、『意識高い系』よりも「賢い」のか?


この新書のなかで、著者自身も、キャリアのなかで「意識高い系」だった時期があったことを告白しています。
「車をぶつけてみないと、車幅感覚はわからない」なんて言われますが、そういう「自己啓発しようとした経験と挫折」があればこそ、辿りついた「生き方」が、この本の読者に、どのくらい伝わるものなのだろうか。


著者は「働き方、努力の方向性、自分にとって大事なものを、もう一度考えてみたほうがいいですよ」って言っています。
自己啓発書マニアになって、何者かになったような気分になる」ことは、時間の無駄だ、と。
まあ、競馬の予想家みたいなものですよね。本当に確実に儲かるのなら、他人に教えずに、自分でやればいいのだから。
この本のなかでは、自己啓発書の著者たちの「どうしようもない人生の推移」も、たくさん紹介されていますし。

 仕事でこんな実績を上げた、こんなふうに昇進した、こんなふうに給料があがった、同僚に勝った、偉くなった、ということだけが人生ではないのです。仕事は仕事、人生のほんのひとつの側面にすぎず、自分を表すことのほんの少しのことでしかないのです。

「私とあの人は同じでなければならない」
「あの人が私より評価されるのは許せない」
「あの人は私よりお金があるのに、なぜ私にはないのか」
「私は学歴も仕事も優れているのに、なぜあの人と同じように有名にならないのか」
「あの人は私より不細工なのに、なぜ美男子の彼氏がいるんだろう」
「なぜあの人にできて私いはできないの?」
「あの人は楽しそうだが私は楽しくない、許せない」


 こんな考え方に心当たりはないでしょうか? ネットで、一度も会ったことがない人を執拗に攻撃したり、職場でうまくいっている人の陰口を叩いたり、学校で気に入らない人を虐めている人の心の中にあるのはこのような「私とあの人は同じでなければならない」という思い込みです。その思い込みが、嫉妬の感情に繋がるのです。

 仕事って、大事なんですよやっぱり。
 僕は、そう思う。
 仕事がなかったら、人生は長過ぎるんじゃないか、とも感じます。
(その一方で、仕事ばっかりしていると、人生は短くなりすぎるよね……)


 でも、だからこそ、「仕事だけが人生じゃない」ことを、もう一度考えてみるべきなのでしょう。
 「仕事をすること」が悪いんじゃない。
 他の人が決めた価値観を疑うこともなく流されて、「みんなと同じであるために、仕事は終わったのに職場でダラダラしていたり、行きたくもない飲み会に付き合ったりするような働き方」をするのが、人生の無駄遣いなのです。


 「本当に仕事が好きで、楽しいから、仕事をする」そういう人は、それで良いと思う。
 大事なのは、「自分が本当に何をやりたいのか、やるべきなのか」を、自分自身で考えてみること、なのでしょう。


 ……とまあ、こんな話を「明日仕事行きたくないなあ、今夜も呼び出されないといいけどなあ……」などと思いつつ、僕も書いているわけです。
 「普通の人生」って、そんなものなんだろうけどさ。

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