琥珀色の戯言

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【読書感想】自分の意見で生きていこう――「正解のない問題」に答えを出せる4つのステップ ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

「どんな問題にも正解がある」と思っている方、ぜひ本書を読んでください!

仕事・経営・キャリア・結婚・離婚・医療・介護など<
人生を左右するような重要な問題には
いずれも「正解」はありません。

そんな「正解」のない問題があふれる時代でありながら、どうしても他人に影響されてしまう社会で必要な、「自分だけの答え」のつくり方を教えます!


 ネットのなかでは、毀誉褒貶が激しい(というか、反発している人が目立つ)ちきりんさんなのですが、この本には、僕も頷かずにはいられないところがたくさんありました。

 誰かと一緒にご飯を食べに行こう、というときに「僕はなんでもいいから、行きたいところに行っていいよ」って答えて、相手の期機嫌を損ねてしまい、「なんで、好きに決めていいよ、って言っただけなのに、こんなに怒るの?」と腑に落ちなかった人は、ぜひ読んでみていただきたいのです。

 というか、タイムマシンがあったら、若い頃の自分に読ませたかった……


fujipon.hatenablog.com


 著者は、「世の中には正解がある問題とない問題があること」「正解がない問題に対しては、自分の意見を持って生きること」と「意見と反応の違いを理解しておくこと」について、この本で述べています。
 著者自身は「意見を持って生きるのは、自分にとっては当たり前すぎることだったが、世の中の多くの人は、そうではない、ということに気づいたから」とも。

 転職すべきか、上京すべきか、Uターン就職すべきか、離婚すべきか、といった個人的な選択については、どれにも正解はありません。
 消費税をもっと上げるべきか、正社員の金銭解雇を合法化すべきか、移民をより積極的に受け入れるべきか、といった社会問題にも正解はありません。

「正解がない」ということは「誤答もない」ということです。そもそも「答え」自体がないのだから。正しい考えも間違った答えもあるはずがありません。では、そういった問題にはなにがあるのでしょう。

 
 こうした「正解のない問題」には「意見」が存在します。「私は消費税を欧州なみの15%くらいに上げてでも社会福祉を充実させるべきだと思う」とか、「僕は消費税を撤廃し、もっと富裕層や大企業に課税し、福祉レベルを引き上げるべきだと考える」というように「正解のない問題」にはさまざまな人の「意見」が存在しています。
「正解のない問題」に「正解」と「誤答」があるように、「正解のない問題」には「私の意見」と「〇〇さんの意見」というように、「さまざまな人のさまざまな意見」が存在するのです。

「正解のある問題に意見は存在しえない」という話は覚えていますよね。2+2には「私は4だと思う」とか「僕は6だと思う」という意見はありえません。それらは「正解」もしくは「誤答」であって「正しい意見」や「間違った意見」ではありません。
 反対に「正解のない問題」には当然、正解も誤答もありません。そこにあるのは「意見」だけです。


 では「正しい意見」と「間違った意見」はどうでしょう? 答えと同じように意見にも「正しい意見」と「間違った意見」があるのでしょうか?


 そんなはずはありません。もし「正しい意見」と「間違った意見」が存在しているなら、それは最初から「正解のある問題」だからです。つまり、「正しい意見」とか「間違った意見」という言葉自体が矛盾をはらんでいるのです。これはとても重要なことなので、しっかり頭に刻んでおいてください。


 なるほど、と思うのと同時に、「これは、正解がある問題なのかどうか?」がわからないことが、実際には多いから困るのです。
 それを「最終的には、自分の頭でしっかり考えて結論を出して、自分の意見を決めろ」というのが著者のスタンスなんですけどね。

 たしかに、どれだけ調べても、データを集めても、抗がん剤治療を受けるべきか、とか、離婚に踏み切るべきか、というような「問い」には、「万人にあてはまる正解」はなく、それぞれの「人生観」が問われるのです。
 「正解のない問題」に対して、データは決断の参考にはなるかもしれないけれど、「十分なデータを集めてから」と言っているうちに、時間ばかりが過ぎていく事例は少なくありません。
 時間が解決してしまう、ということもあるんですけどね。


 著者は「意見と反応の違い」について、こう書いています。

「反応」としてもっともわかりやすいのは、テレビに向かって呟く独り言です。私は関西出身なので、自分の含めテレビに向かって「ほんまかいな!」「ようゆうわ!」と突っ込む人をたくさん見てきました。
 他の地域でも、バラエティやニュース、ドラマを見ながら「この人すごいね!」とか「こんな設定ありえないよ!」など、テレビ画面に向かってしゃべる人は少なくないはずです。


 こうした独り言の大半は、「その番組や演出に対する意見」ではなく、単に、目に入ってきた情報、耳に入ってきた情報への「反応」です。これらを「意見」だと言う人はいないでしょう。
 とはいえ、多くの人は自分の言葉が意見なのか反応なのか、ほとんど意識をしていません。また、そのふたつがどのように異なるのかと問われても、うまく説明できない場合が大半です。

 
 そこで、意見と反応を区別するための鍵となる概念をご紹介しましょう。それは、「ポジション」という言葉です。この言葉がよく使われるのは、チームスポーツの分野です。野球なら「自分のポジションはショート」、サッカーなら「俺のポジションはフォワード」などと言いますよね。
 つまりポジションとは、「どこに立っているのか」を示す言葉なのです。発言者の立ち位置と自分の立っている場所が「ポジション」であり、「ポジションをとる」とは、自分がどこに立って(発言したり、思考したりして)いるかを、明確にするということです。

 そして「自分の意見を言う」とは、「自分のポジションをとること」だともいえます。発言によって「その人がどこに立って発言しているか」が明確になっていれば、それは「意見」だといえるのです。
 一方、それらしく聞こえても「その人のポジション(立ち位置)がどこなのか、わからない言葉」は、意見ではなく反応に過ぎません。


 「ポジショントーク」という批判はよく見かけますが、人間にはそれぞれの立ち位置というのがあるのが当たり前です。
 むしろ「自分のポジションを明らかにしないで、批判ばかりしている」のは「意見」ではなくて、「自分が傷つかないところから、うまくやりすごして、自分を良く見せようとしているだけ」だと著者は考えているのです。

 僕は「対案を出さない人には、反対する資格はない」というスタンスに対しては、「なんか嫌だ」「ちょっと引っかかる」というような一時停止を求める感情も「あり」だし、そういう「なんとなく」的な感覚って、けっこう大事なのではないか、とも思うのです。
 いかにも日本人的、なのかもしれませんが。

 「意見」を言える人がもてはやされるのも、世の中には「自分の意見で生きていくよりも、観客として他者がつくったコンテンツに『反応』しているだけのほうがラクだし、幸せ」という人が多いから、ではないでしょうか。
 そして、そういう世の中が悪い、とも言い切れない、東京ドームで1グループがパフォーマンスを行うのが「興行」として成り立つのは、その何千、何万倍もの観客がいるからで、みんながステージの上じゃないと嫌、という世界は、それはそれできつそうです。

 僕は……正直「自分の人生のハンドルを自分で握る楽しさ」に気づくのが、ちょっと遅かった。


 最初に書いた「なんでもいいよ、好きに決めていいよ」という態度が相手を苛立たせる理由について、著者は「コミュニティの中で求められるリーダーシップ」の話をしています。

 共働き家庭で子育てしている中、ふたりとも仕事が忙しくて日常生活が回らなくなった。そんなとき、「一度しっかりと自分たちの求めているものや、仕事のあり方について考えよう」とパートナーに提案し、解決策のひとつとなる具体的なアイデアを自分の意見として提示し、相手の意見を聞いて議論を進める。この態度こそがリーダーシップと呼ばれるものです。
 ここでわかるように、リーダーシップの最初の一歩とは自分の意見をもつことです。自分の意見を組織のメンバーと共有し、具体的な問題を解決すべく(もしくは、具体的な目標を達成すべく)自ら動くことがリーダーシップです。


 会社でも家庭でも、それ以外のコミュニティにおいても、リーダーシップをとらず、「誰か決めてくれれば自分はそれに従う」という態度では、仲間とは認められません。
 そういう態度について、「じぶんはよきフォロワーを目指しているのだ」という人がいますが、フォロワーは本当の意味での仲間ではありません。自分の意見はないが、言われたことは責任をもってそのとおりやります、というのは、部下であり外注先でありアルバイトの態度だからです。
 そういった態度のまま「家庭のパートナーである」「職場やコミュニティの仲間である」と認めてもらうのは難しいでしょう。


 自分が所属するコミュニティの問題を自分ゴトとして捉え、だからこそ自分の意見を明確にし、それを他のメンバーに伝え、議論することこそ、「仲間」として認められるための条件です。そして、そうした態度こそがリーダーシップと呼ばれるものなのです。


 「どこでもいいよ」「あなたに任せるよ」と言っているのに、なんで機嫌が悪くなるのか?
 それは、決めるのがめんどくさいから、だと思いがちですが、(相手もそれを明確に意識しているかはさておき)実際は、そういう態度を取る人が、自分自身の問題としてきちんと考えていない、というのが伝わってしまうからなのですね。

 ああ、なんて身につまされる話なんだ……

 僕のような失敗人生を送らないために、なるべく早いうちに、この本を読んでみることをおすすめします。
 「外資系思考」だとは感じるのですが、今の世の中の流れとして、「自分の意見をきちんと言える人」が重んじられるようになってきているのは間違いありません。
 これを読んでも「自分は観客でいいや」というのであれば、それはそれで「自分で考えて決めたポジション」ですし。


fujipon.hatenablog.com

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