琥珀色の戯言

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【読書感想】ヤクザときどきピアノ ☆☆☆☆

ヤクザときどきピアノ

ヤクザときどきピアノ

  • 作者:鈴木 智彦
  • 発売日: 2020/03/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


Kindle版もあります。

ヤクザときどきピアノ

ヤクザときどきピアノ

内容(「BOOK」データベースより)
「『ダンシング・クイーン』が弾きたいんです」譜面の読みかたも知らない52歳の挑戦。『サカナとヤクザ』『ヤクザと原発』など、潜入ルポで知られるライターがピアノ教室に♪!


 僕は子どもの頃、ピアノを習っていました。
 幼稚園に行っていたときにカワイの教室でオルガンを習いはじめ、そのまま流れでピアノに移行し……という経緯だったのですが、周りは女の子ばかりで、友達には「男なのにピアノとか習ってるの?」と言われ、ずっと「早くやめたいなあ」とばかり思っていたんですよね。
 小学校高学年のとき、引っ越しを契機にようやくやめることができ、そのときには「ようやく解放された!」という気分だったのですが、今から考えると、「もうちょっと一生懸命やるか、続けていればよかったな」という気もします。
 本格的にピアニストを目指していた、というのではなくて、高度成長期の中流家庭にありがちな「ちょっと高尚な習い事を子どもにやらせてみる症候群」みたいなものだったのですが、僕の人生において、強制的にでも、ピアノ、という楽器に触れて、音楽の基礎の基礎だけでも習ったことはけっこうプラスになっていると思うのです。

 そろそろ50歳もみえてきて、「何か趣味として楽器でもやってみようかな、でも、この年になると、『他人に一からものを教わる』ことそのものが、けっこうハードルが高いなあ……」なんて思っていたところに、この本を見かけました。

 著者の鈴木智彦さんは『ヤクザと原発』『ヤクザとサカナ』などの著書があるノンフィクションライターです。
 なぜ鈴木さんがピアノを?ネタ切れで本の企画として?と思ったのですが、取材の合間に観たABBAミュージカル映画で流れていた『ダンシング・クイーン』を自分で弾いてみたい、という思いがあって(もともとピアノという楽器への憧れもあったそうです)、自発的にピアノ教室に通い始めたところに、「それを本にしませんか?」というオファーが来た、ということでした。

 いやしかし、ヤクザときどきピアノ、って、すごいタイトルだよなあ。鈴木さんは強面ではありますがノンフィクションライターで、ヤクザではないし、この本には取材対象としてヤクザが少し出てくるくらいなんですけどね。

 そのうち人生は急激に忙しくなり、紆余曲折の末、ヤクザを取材する物書きになった。予想外もいいところで、クレームに怯えつつおっかなびっくり原稿を書き続けているうち、あっという間に五十歳を越えた。

「もうジジィだから……」

 口ではそう言いながら、若いつもりだった身体にもガタが来て、老いを意識せずにはいられない。ならばまごまごしている時間はどこにもない。どうしてもピアノを弾きたい。
 心身が柔軟な子供たちのように、コンクールに出場する腕前にはなれないだろう。それでも大人の優位は必ずある。たとえばそれぞれの仕事で学習のコツを掴んでいるし、単純な反復作業がブレイクスルーに繋がる意外性も経験している。困難を克服する方法も見つけられるし、自分がよく間違う自覚も持っている。なにより言語というツールで現象を深掘りし、ナイーブな子供が泣くような経験ですら客観的に楽しめる。


 みんなが、「老い」とともにこういう発想ができるわけではない、とは思うのです。
 でも、言われてみれば、こういうメリットも「大人」にはありますよね。
 つまらないプライドを抑制することができれば良いのだけれど。


 これだけ、「生涯学習」が勧められている社会でも、中年男がピアノを習う、というのは、けっこうハードルが高いみたいなのです。

 個人のピアノ教室は、そもそも成人男性を受け入れていない(という理由で断ってくる)ところが多かった。体のいい大義名分で、本当は教室のカラーにそぐわない生徒をふるい落としているのかもしれない。ピアノ教室は防音スタジオに入り、一定の時間、個室で二人きりになる。想像できないようなとんでもない受講生は必ずいるから、生徒選びも……それが中年男性の場合は──慎重にならざるを得ないだろう。


「……『ダンシング・クイーン』を弾きたい……と。ピアノで、昔習っていたとか?」
「ピアノに触ったことはありません。正確にいえば小学校の音楽室で触れたことはありますがまったく弾けません」
「いちからピアノを習いたい……ということですよね?」
「そういうことですが、基礎を習いたいのではないのです。この曲だけ弾ければいいんです」
「……えーっと……うちは男性の生徒さんを受け付けてないんです。ごめんなさい」


 時々、俺の中のフェミが発動しそうになる。必死に押しとどめた。現実的にピアノ・レッスンの主役は子供と女性だ。難航するのは仕方がない。
 子供にとってのピアノの先生はどこにでもいて、子供向けのピアノ教室は全国に多数ある。幼少期からピアノを専門的に学ぶカリキュラムは、試行錯誤を重ね体系化されている。だが大人にピアノを教える専門の先生はそういないだろう。最近、シニアをターゲットにしたピアノ教室が増えてきたが、ここでの先生たちは本来、子供のための”支障”であり、生徒にはどこか門下生といった雰囲気といった雰囲気が消えない。そんな世界っさんという異分子が侵入しようとしている。抵抗勢力に遭遇するのは当然である。


 これは「差別」ではないのか……と言いたくもなるのだけれど、いろんなリスクも考えると、なかなか受け入れるのは難しい、ということなのでしょうね。
 中年男って、あんまり人に教えてもらうのが得意じゃないことが多いしなあ。


 そんななかで、鈴木さんは、レイコ先生、という自分の希望を受けいれてくれた先生を見つけ、その指導のもとに『ダンシング・クイーン』に挑むのです。
 
 ところが、その練習は、挫折の連続で……ということにはならないのです。鈴木さんは、ここに書かれているのを読むと、自分で予習・復習をきっちりやる真面目な練習生で、指の動きがなかなかついてこない、という困難がありつつも、目標の『ダンシング・クイーン』の演奏に向かっていくのです。
 人間、本当にやりたいことっていうのは、こんなに頑張れるものなのだなあ、と思いながら読みました。

 反復を伴う練習は、決して苦行ではなかった。どうやって攻略していくかを考え、それを実践して身体を動かすのは、知恵の輪を解いていくような快感があった。その快感がもたらすアドレナリンは、いってみればシューティング・ゲームのそれではなく、ロールプレイング・ゲームの『ドラゴンクエスト』に近い。身体を動かしているのに、世界を探求し、試行錯誤し、宝物を見つけた時のような快感が連続する。
 ひょっとするとスポーツを練習しても、同じような境地に到達するのかもしれない。

 四十歳でチェロを弾き始め、二年ほどでいったんは挫折しながら、五十歳を過ぎて学習を再開したジョン・ホルトは、『ネヴァー・トゥー・レイト 私のチェロ修行』で、同様に中年になってからピアノのレッスンを再開した友人の言葉を紹介している。


「すごいんだ。自分の手が賢くなっていくのが分かる。私が教えなくても、どうしたらいいか、手が知っているんだ」


 楽譜を演奏するすべての人が、この言葉に頷くだろう。そしてその感覚は俺のような初心者レベルでもはっきりと感じられる。
 レイコ先生もよくこう言っていた。


「そんなに棍を詰めなくてもいいのよ。あとはピアノが教えてくれるから」


 最初はずいぶん詩的で、抽象的な言い方だと批判的に考えていた。しかし、レッスンを続けていくうち、先生の言葉が飲み込めた。
 右手の譜読みが終わり、しばらくして左手も終わった。あとはそれを左右同時に行うだけだ。
 こう説明すると簡単にできる気がするだろう。俺もそう思っていた。しかし、前述したように、俺は左右の手を同時、かつ別々には動かせない。体内にそれを可能にするための筋肉や神経を育てていないからだ。実際、弾いてみたらまったく弾けなかった。泣きそうなくらいに。
 もし独学なら、おそらくこの先には進めなかっただろう。右手と左手が、同じタイミングで鍵盤を叩くならどうにかなるのだが。


 著者に指導してくれるレイコ先生も、魅力的な人なんですよ。名前が同じ、村上春樹の『ノルウェイの森』に出てくるレイコさんのことを思い出してしまいました。

 鈴木さんは、『ダンシング・クイーン』を弾くことができたのか?
 気になる方は、ぜひ、この本を手にとってみてください。
 僕は鈴木さんとほぼ同世代なので、これを読んで、自分の人生に楽しみの種がひとつ増えたような気がしました。

 この本のなかで、NHK-BSのドキュメンタリー番組で、U2のボノがABBAについて語った言葉が紹介されています。

「パンクロック全盛だった。俺たちはABBAのことを受け入れられなかった。彼らは女性受けする音楽ばかり作っていた。だから俺たちは正直、相手にしてなかったんだ。でもいまじゃABBAは最も偉大なポップグループのひとつになっている。彼らは音楽を純粋に楽しんでいる。そこがABBAのすごいところさ」


 このボノの言葉を読んで、僕はなんだか目頭が熱くなってきたのです。
 ああ、あのボノでさえ、年を重ねて、世界の見方が変わってきたのだなあ。

 歳をとることは恥ずかしいことじゃない。
 他人からどう見えるかを気にせずに、自分の人生を楽しむのは、悪いことじゃない。


ヤクザと原発 福島第一潜入記

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