琥珀色の戯言

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【読書感想】身体巡礼: ドイツ・オーストリア・チェコ編 ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
骨、墓、棺……埋葬から見えてくる、ヨーロッパの“裏側”に注目せよ。向き合った死体、3000。身体を通して人間を観察し続ける解剖学者が、中欧を歩く。世界遺産の骸骨堂、ハプスブルク家の霊廟、ユダヤ人墓地、カトリック聖地、心臓信仰、黒聖母様、意匠を凝らした墓の数々……無言の死者が伝えるのは、科学をもたらした理性と身体古層の、矛盾か融合か。写真満載のヨーロッパ異聞がここに。


ああ、養老先生の旅行記なんだな、と何気なく図書館で借りてきた本だったのですが、掲載されているカラー写真の数々に、なんだか圧倒されてしまいました。
僕は中欧という地域に興味はあるのですが、一度も行ったことはありません。
やっぱり、オーストリアとかチェコとかハンガリーよりは、イタリアとかフランスに先に行っておこうかな、って思うじゃないですか、いや、ヨーロッパはイタリアとスペインとノルウェーしか行ったことないですけど。


なんというか、一冊丸ごと、骨とか墓とか棺の話が続くわけですよ、この本。
写真も、お墓とか棺とか納骨堂とかが、カラーで満載です。
誰が読むんだよこれ……って、僕が読んでますが。
ボヘミアの「セドレツ納骨堂」は、「4万体の人骨で装飾された骸骨の館」です。
写真を観ていると、ああ、なんかこんな雰囲気のテレビゲームがあったな……なんて、バーチャルに逃避したくもなるのですが、ここまで徹底されていると、なんだか美しく感じたりもするのです。
でも、子供の頃にこの写真を観ていたら、夜眠れなくなったんじゃないかな……
こういうのを観ていると、「織田信長は、討ち取った敵武将の頭蓋骨を杯にして、酒盛りをした」なんていう話も、「そんなの序の口」という気分になってきます。


養老先生の「身体と精神」に関する、さまざまな考察も興味深くはあるのですが、結局のところ、この本に関しては、写真のほうが印象に残ってしまうんだよなあ。


人が亡くなったときの向き合い方というのは、それぞれの文化によって、大きく異なっています。

 中欧の中心なら、もちろん千年王国ハプスブルク帝国の首都ウィーンである。実際には700年続いたハプスブルクの王家は、特異な埋葬儀礼を守ってきた。2011年7月、帝国最後の皇太子だったオットー・ハプスブルクが亡くなり、伝統に従って埋葬された。心臓はハンガリーに(王家の中では例外的)、残りの遺体はハプスブルク家歴代の棺を置くウィーンの皇帝廟に納められた。オットーは1912年生まれ、享年98。1916年、帝政廃止以前にハプスブルク帝国の皇太子になっている。心臓が別に埋葬されたことにご注意いただきたい。これは現代の話である。
 解剖学を専攻していた現役時代から、私はこの伝統に関心があった。ハプスブルク家の一員が亡くなると、心臓を特別に取り出して、銀の心臓容れに納め、ウィーンのアウグスティーン教会のロレット礼拝堂に納める。肺、肝臓、胃腸など心臓以外の臓器は銅の容器に容れ、シュテファン大聖堂の地下に置く。残りの遺体は青銅や錫の棺に容れ、フランシスコ派の一つ、カプチン教会の地下にある皇帝廟に置く。つまり遺体は三箇所に埋葬される。どちらも歩けば10分以内の距離だ。


現代的にいえば、ハプスブルク家の人々は、「解剖」されて、臓器を取り出され、三箇所に分けて埋葬された、ということになります。
もちろん、中欧ではこれが一般的、というわけではなくて、ハプスブルク家はこういう伝統を持っていた、ということなのですが、「心臓」に対する思い入れの強さについて、養老先生は、さまざなま考察を加えておられます。

 ハプスブルク家の一員だけが、上述のような儀礼に厳密に従って埋葬されるのは、それが共同体の一員であって、いまでも一員として「生きている」ことの象徴である。王家の一員であるか否かの決定には、かなり厳格な基準があり、それが継承権にもつながる。本人が自分は親戚だから一員だと主張してもダメで、それは当然であろう。さらに二人称には、その中にも親疎の別がある。それもあって、資格は客観的にも定められなくてはならない。


「4万体の人骨でつくられた、骸骨の館」の話を前述しましたが、「人骨による装飾」は、ヨーロッパの各地にみられるそうです。

 骸骨があるのは、むろん日本だけではない。欧州は骸骨に満ちている。今回の「陽気な墓参りツアー」で最後に訪問したプラハから、セドレツの礼拝堂に行った。欧州でも指折りの骸骨堂である。数万の骨が埋葬され、教会の後見役だったシュヴァルツェンベルク家の家紋が骨だけで作られている。個々の骨には一切細工はない。骨をそのままの状態で、組み合わせただけである。
 イタリアではローマに骸骨寺がある。これは観光名所になっているので、知る人も多いであろう。ネットを見てみると、訪問の報告がいくつもある。ヴェネト通りというローマの目抜き通りにあるので目立つせいもあると思う。カプチン派つまりフランシスコ会の教会の墓所を骨で飾ったものである。そう古いものではない。16世紀以降の骨だという。
 フランスではパリのいわゆるカタコンベがやはり観光名所である。地下20メートルまでエレベーターで降りると、洞窟の壁がすべて骨になっている。パリは石灰岩地域で、アルカリ性の土壌だから、骨が溶けない。溶けないから、いつまでも残ってしまう。日本は火山性の酸性土壌が多いので、骨が溶けてなくなる。だから旧石器時代が日本にあったかどうか、議論があった。石器が出ても、骨が出ないのである。

 人骨を集めて装飾した部屋を作る。その意味はメメント・モリ、死を忘れるな、だとされることが多い。たしかに今回の旅行でも、墓に骸骨の印があるとメメント・モリが意識されているようだった。墓碑に言葉が付属しているときには、メメント・モリとか、いずれお前の姿だとか、書いてあることが多いからである。


 養老先生は、この背景の一つとして、「ペストの大流行による、多数の人の死を経験したこと」を挙げておられます。
 それとともに、土葬中心で、骨が溶けない土壌だと、どうしても骨が溜まってしまった、というのもあったのではないか、と。


 「お墓に近くに住みたい」という人は、少なくとも日本にはあまりいないはずです。
 その一方で、「一緒のお墓に入る」とか「墓を守る」というような伝統的な言葉は、まだ生きています。
 みんな、(少なくとも他人のものに関しては)お墓を忌避しているにもかかわらず、お墓は必要なものだと考えている。
 有名人のお墓には、身内ではない人も、お参りをしています。

 わざわざ墓を作る。それは一種の表現と見てもいい。だれかがそれを見るからである。人工物は見る側からすれば表現である。だから人工物にはデザインが伴うことになる。墓を表現としてみると、受け取られた表現とはつまり情報である。デザインとは、その情報にある種の方向性を指示するものである。
 ここまで来て、墓という自分のテーマがじつはなんだったか、少しほどけてきたような気がする。情報に対する対応、ということなのである。これは相手が新聞記事だったり、テレビ番組だったりすれば、当たり前の議論であろう。でもいわば「情報を発信してきている」のが墓石だったらどうなのか。墓石をどう受け取りゃいいのか。まあ、たいていの人はここで沈黙する。語るべきことではない。語るべきことなどない。そういうことかもしれない。いまではリテラシーという言葉があって、それを拝借するなら、墓石に関するリテラシーなんかないよ、ということであろう。でも十万年前から墓は作られていたらしいということを思えば、墓石が読めてもいいのである。読めて当然という意見もあっていい。

 お墓には「これが正しい」なんてものはない。思えば私はそれが好きなのである。「どうだっていいじゃないか」というと、現代社会では要するに無責任と言われてしまう。そうではない。墓は必要なんだけれども、形式は確定していないのである。ではなんでもありかというと、そうでもない。そのあたりの微妙な釣り合い感覚が、現代人には欠けてきている。余計なことだが、それが心配の一つである。


 うーむ、なるほどなあ……
 率直に言うと、読んですぐに何かの役に立つとか、誰かに話したくなるとか、そういう類いの内容ではありません。
 だからこそ、興味深いのもまた事実なんですけどね。

 
 人生で、2時間くらい寄り道をしたくなったときに、開いてみる本。
 そんな感じかな。


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