琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

映画『どろろ』感想 ☆☆☆

公式サイト:http://www.dororo.jp/

昭和42年「週刊少年サンデー」で発表された手塚治虫の最高傑作とも言われている怪奇漫画を実写映画化したアクション時代劇。体の48か所を魔物に奪われた百鬼丸が、体を取り戻すために男装した泥棒“どろろ”とともに魔物退治の旅に出る。主演の百鬼丸役に『涙そうそう』の妻夫木聡どろろ役に『県庁の星』の柴咲コウを迎え、初の本格的なアクションを披露する。男女間の微妙な心情を強調したドラマや総製作費20億円以上を投入した驚異の映像が見もの。

戦国の世を憂う武将の醍醐景光(中井貴一)は、乱世を治める力を得るため、自分の子である百鬼丸妻夫木聡)の体から48か所を魔物に差し出してしまう。やがて体の一部を取り戻せることを知った百鬼丸は、魔物退治の旅に出る。一方、コソ泥のどろろ柴咲コウ)は百鬼丸の強さの象徴である妖刀を奪うため、彼を追いかけ始める。 (シネマトゥデイ

 観終えての率直な感想は、「まあ、ためになる映画じゃないけど、面白かった。いい気分転換になったな」というものでした。「原作派」の人たちは「この映画には手塚治虫の魂が反映されていない」と言うけれど、僕は手塚治虫が『どろろ』を描いたモチベーションというのは、「虐げられていたものたちへの共感」というよりは、手塚先生がそういう「異形の者たち」に理屈では語れないような畏れと憧れとエロティシズムを感じていたから、要するに、そういう存在に魅かれていたから、だと思うのです。そういう意味では、この映画版は、少なくとも「異形の者たちが縦横無尽に動き回って活躍する」という点において、手塚先生の想いを映像にしているのではないかと僕には思えました。
 もちろん、ストーリー的にはかなりムチャクチャで強引であり、原作との比較で言えば、柴咲コウさんのどろろは致命的なミスキャストであり、演技なのか「なんでこんな役引き受けちゃったんだろ……」と半分ヤケになっているのかわからないような演じっぷりではあったのです。でも、観ていたら「これもアリかな」という気もしてきたんですよね。やっぱり観ていると、妻夫木聡とのツーショットで「このふたり、付き合ってるらしいけど、何考えながらこのシーン撮ってたんだろうなあ」とか考えてしまうという楽しみもありますし。
 そして、妻夫木さんの「百鬼丸」は、なんというか、すごく颯爽としている外面と迷いや苦しみを内に秘めている内面がうまく表現されていて、僕が女の子だったら妻夫木ファンになりそうだな、と思ったくらいでした。妖怪たちはたしかにチープな感じではあるのだけれど、あのチープさが昔特撮番組を観て喜んでいた時代を思い出させてくれて、僕にはけっこう心地よかったです。本当は、もっと「それらしい」特撮も使えそうではあるのですが、逆にハリウッド映画的な手法でリアルな『どろろ』を作り上げても全然面白くはなさそうなんですよね。どろろ柴咲コウさんになってしまったことについても、「イメージ違うよなあ」とは感じたのだけど、じゃあ、あの原作通りのどろろが出てくるような映画を観せられて楽しいのか?と問われたら、僕が日曜日の夜に映画館で観たかった作品はそんなのじゃない、としか言いようがありません。たぶん、多くの観客にとってもそうなのだと思います。『県庁の星』の際も、「柴咲コウじゃ、小説版の『ミッドライフ・クライシス』のイメージが伝わらないからなあ、と感じましたが、映画として観れば、そりゃあ、リアルなおばちゃんよりは、柴咲さんが出ていたほうが画面が映えるに決まっていますしね。
 どんなに『それでもボクはやってない』が素晴らしい映画でも、「ためになる映画」だけを観て生きるには人生は長すぎます。手塚治虫の原作を読んだことがない、普通に「楽しい映画を観たい」人には、あまり期待しすぎないことを条件に薦めてもいい映画なのではないかなあ。
 僕は手塚作品が「差別表現問題」で弾圧されていたときのことを思い出しながら、この映画をけっこうしみじみと観ていたんですよね。この題材をこんなふうに「映像化」することが認められるくらいには、世の中は平和になったのだ、と。20年前なら、手が切り落とされるというシーンだけでも「差別的なので映像化不可能」だったのですから。

 とりあえず、僕にとってはこの映画の続編が公開されることがあれば観ると決意するくらいには面白かったです。

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