琥珀色の戯言

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義理チョコは、なぜ「配布」されるのか?

 本日はヴァン・アレン帯、もといバレンタインデーなので(ベタ)、各地でバレンタインデーに関する日記を見かけるのですが、女性が職場でみんなに渡すチョコレートに関して、非常に多くの例で、「バレンタインデーなので、同僚に義理チョコを配布した」って記述されているんですよこれが。
 いや、正直貰う側からすれば、自分の貰ったこのチョコレートが「配布」されたものだと認識するのは非常に悲しい。だって、「配布する」って、チラシとか消費者金融ティッシュとか、会議の資料みたいな「心をこめずに不特定多数にばら撒くもの」に使われる名詞じゃないですか。せめて「配る」だったらなんとなく許せる。逆に男性でホワイトデーのお返しを「配布する」って表現する人はほとんどいないと思うんだけどなあ……
 「どうせ義理だし、心なんて篭っていないから」配布なのかもしれないけど、義理だって「義侠心」みたいなのは含まれているわけだし、「配布」っていうのはあまりに冷淡な表現だよなあ、という気がします。せめて「あげる」「贈る」くらいにしてくれないかなあ。一寸の義理チョコにも、五分くらいのロマンがあってもいいじゃないですか、しかし書いていて思ったのだが、こんなことにこだわる男っていうのもバレンタインデーっていう習慣も哀しいよね本当に。

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