- 作者: 佐藤治彦
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2008/03
- メディア: 新書
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内容説明
“管理職”とは名ばかりの“チェーン店の店長”は「現代の奴隷制度」というべき残酷な状況にある。
その要因は、本部だけが有益な契約構造と、現場の劣悪な労働環境にあった!
コンビニエンスストアの店長は、なぜ本部を相手に裁判を起こしたのか?
居酒屋チェーンの店長が“未払いサービス残業代”を勝ち取った方法とは?
大手ファミリーレストランの店長が過労死した理由とは―――?
チェーン店舗の現場に巣食う“モラルハザード”という病理が家庭崩壊生み、
超低賃金の労働条件が過労自殺を引き起こす!
豊富なデータと緻密な取材をもとに検証する、本部と店舗をつなぐ構造的問題と“カネの正体”――。
日本の店長を奴隷的環境から開放するための道筋を徹底追究する!
僕の大学の部活の先輩(女性)に、某マクドナルドでずっとバイトをしていた人がいました。
先輩は事あるごとに「マックでのバイトは楽しいよ〜」と言っていましたし、優秀でテキパキとよく動く人だったので、その店ではサブマネージャーまで「昇進」していたそうです。「卒業したらウチで働かない?」って言われたよ!なんて嬉しそうに話していたっけ。
この本を読みながら、僕は、あの先輩、あのまま就職しなくてよかったなあ、と、つくづく思いました。たぶん、ファストフードやコンビニって、向き不向きはあるんだろうけど、バイトで働くには、楽しいことも嫌なこともある、ごく平均的な職場なのではないかと思うのです。
でも、「社員」とか「店長」になってしまうと、「管理職」「責任者」の名のもとに、こんなに凄まじい労働環境に置かれてしまうのか……
この本には、2008年1月28日に東京地裁での判決が出た「マクドナルド店長の残業代訴訟」の原告である、高野廣志さんの話が紹介されています。
高野広志さんの裁判での陳述(マクドナルド裁判)
詳細は、↑で読んでいただきたのですが、本当に過酷な勤務で、『マクドナルド』のCMでの明るいイメージと比べると、店の内部のあまりの過酷さには驚くばかりです。
もちろん、全員がこんな労働環境に置かれているわけではないでしょうし、高野さんはいまでもマクドナルドで働いておられるのですから、「全く魅力がない職場」ではないんでしょうけど……
この裁判のニュース、労働環境問題としてはかなり大きな転換点だと思うのですが、そのニュースとしての大きさに比較して、あまりメディアに大きく採り上げられなかったのは、「マクドナルドが大広告主だから」なんんだろうな、と勘繰ってしまいたくもなります。
そして、この本を読んでいて思い知らされるのが、「人気チェーンの店長として独立開業!」みたいなのは、実際にはかなり厳しい、ということです。
某大手コンビニエンスストア・チェーン店の「オーナー店長」の哀しい現実(活字中毒R。)
↑を読んでいただければ、その「金銭的」および「肉体的」な厳しさが御理解いただけるのではないかと。
この本では、ある「起業相談会」での「近年、都心の繁華街の路面店や地方のショッピングモールのフードコートなどでよく見かける、肉料理中心のチェーン店」のブースで聞いた話も紹介されています。
この店、一店舗はだいたい、客が10名くらいの規模でできていて、人(従業員)を使うことさえできれば、「料理をする必要がない」ので、誰でも店長はできるのだという。
ハンバーグやステーキを出す肉料理の店なのに、「料理をする必要がない」とは、どういうことなのか。担当者は「うちには料理をするという”概念”すらないんです」といささか誇らし気に言い放つ。
ステーキならば、肉は全て冷凍庫に一人分に小分けされては言っている、それを温め解凍して、260度に熱した鉄板に乗せる。後は、にんじん、アスパラなどの付け合わせを横に添えて塩胡椒を振れば、そのままお客さんの前に出すだけなのだという。
この方式なら、「アルバイトが入ってきても、その日からほぼ即戦力で使えるでしょ」と店側は得意げに語るのだった。また、店長になる時も、そんなに技術は必要なく、なんと1ヵ月の研修で店を任せられる技術はつくのだという。食材に触り、食品の管理はするのだが、調理師免許などももちろんいらない。驚異的だ。しかし、そんなに早く店長になれていいのだろうか。(中略)
担当者はいった。「始めのうちは、1日10時間、週1回の休みで働かないと売り上げは出ないよ。だから、奥さんでも一緒にやってもらえば、それだけアルバイトに払わなくていいから、売上げが増えるんですよ」。
問題はあるが、ここでも簡単に店長になれることだけは確かだ。だが、店長としての裁量はどこにあるのだろうか。店にも、システムにも、料理に対してもやれることはほとんどなく、ポツンと「店長」という肩書きだけがある。大して自分が潤うことも見込めず、店を必死にまわして何になるのか。本部にお金を上納し続けるだけではないか。そこに喜びはあるのだろうか。
そりゃ確かに「食えない生活」よりは、はるかにマシだとは思うんですよ。
でも、こういう「現実」を知らされると、こんな責任とノルマだけが厳しくて、金銭的にも創造性も満たされない「店長」に何の価値があるのか?と考えずにはいられません。毎日毎日、解凍して鉄板に載せてお客の前に出すだけ。でも、こういう店が「人気チェーン店」として、地道にやっている職人たちの店を駆逐しているのが、「現状」なわけで……
「名目だけ管理職問題」だけでなく、今の日本の食文化全体についても考えさせられる本ではあります。
というか、ここまでいろんな人を「搾取」して、食品を作る過程を「簡略化」してまで、「安い食べ物」を求めるのが正しいのか?
いや、僕自身も「こだわりの家族経営の店」よりも、チェーン店を「お客を放っておいてくれるので入りやすい」という理由でずっと支持し続けてきた人間なので、全く偉そうなことは言えないんですけど……