琥珀色の戯言

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グーグルに異議あり! ☆☆☆☆


グーグルに異議あり! (集英社新書 537B)

グーグルに異議あり! (集英社新書 537B)

内容(「BOOK」データベースより)
グーグルが、地球上すべての「本」を掌握してしまう!?複雑怪奇で巧妙な「ブック検索和解案」に世界中の著者・出版社・書店がパニックになるなか、著者はグーグルの正体を明らかにすべく、愚直に調査を開始。著作権侵害に対しては刑事告訴で対抗を試み、不当な和解案にはNYまで異議申し立てに飛び、共闘する作家と手を結ぶために欧州へ。本書は世界中の情報をのみこもうとするグーグルの策略と「デジタル書籍」のあるべき姿を考えるために必読である。

この本、書店で見かけてページを少しめくったときの印象は、「あ〜あ、売れないルポライターが、売名のためにグーグルさんに喧嘩売って、こんな新書まで出しちゃったのか……」というものでした。
読み終えたいま、僕は明石さんに謝らなければなりません。バカにしてすみませんでした。
そして、いまや「ネット上の巨人」となったグーグルの傍若無人さを、あらためて思い知らされました。
「法律的には正しい」のかもしれないけど、この新書を読んでいると、グーグルは明らかにアメリカ以外の国をバカにしているとしか思えません。

 言うまでもなく本の著者は、本を買ってもらわないことには稼ぎにならない。それは筆者とて例外ではない。
 しかし、一冊の本を不特定多数の者が回し読みすることを慣例で許されている図書館は、お金のない人でも本を読むことができ、文化的な営みがおくれるようにと人類が編み出した「装置」であり「知恵」の産物である――と、これまで広く理解されてきた。筆者も若くて今よりもっと貧乏だった頃には、さんざん図書館の世話になってきたものだ。おかげて今の自分もある。
 そんな図書館に付け込んだ所業が、今回のグーグルブック検索事件だった。本の著作権者はこれまで、図書館を全面的に信用し、「全ページのコピー禁止」程度の権利しか主張してこなかった。つまり、著作権者が図書館に対して寛容だったことが、結果的に今回の事件を招いたのである。
 グーグル社の財力にモノを言わせれば、市販されている本を片っ端から買ってスキャンすることなど容易くできそうなのに、あえて回りくどく「図書館の蔵書」のみをスキャンしていることには、当然のことながらワケがある。市販されている本を著作権者に無断でスキャンしたのではフェアユースを語れないからだ。
 百歩譲り、図書館の蔵書デジタル化にはフェアユースが認められるとしよう。しかしそれは、営利企業のためのものではなく、一般市民や学生たちのためのものでなければならない。したがって、営利企業であるグーグルに大量の本を貸し出し、デジタルスキャン行為を黙認することは、フェアユースの濫用に他ならない。これほどの不利益を強いられるいわれは、著作権者にない。
 すべてのカラオケスナックに歌の「著作権使用契約」を結ばせるきっかけともなった一連の「カラオケ著作権裁判」のように、もし不利益を強いられ続けた結果、フェアユースを濫用する図書館に対し、蔵書の著作権者たちが一斉に裁判を起こし、「一回読まれるごとの著作権使用料」を要求し始めたら、いったいどうなるか?

参考リンク:フェアユース(Wikipedia)
ちなみにこの「フェアユース(公正利用)規定」というのは、アメリカの著作権法にあるのですが、日本の著作権法にはありません。

グーグルは、いきなり日本の著作権者に、書籍の全文をデジタルスキャンすることについて、いきなり「公告」を公開し、「異論があるなら、○月×日までに申し出ろ、申し出が無い場合には認めたものとする」などという態度をしめします。
しかも、肝心の文章は英語で、日本語に訳されているのは、ほんの一部分で語訳だらけ。そのうえ、「日本語訳と英語の原文の内容に違いがある場合には、英語の原文を優先する」との但し書きつき。
詳しくはこの新書を読んでいただきたいのですが、僕はグーグルがこんなに傲慢な会社だとは思っていませんでした。
「いろんなものをタダで提供してくれる、気前のいい、良心的な企業」のはずだったのに!

このグーグルの「横暴な書籍デジタル化」に対して、何が何だかわからないまま、「今の世の中、グーグルに言うことをきいておいたほうが得なんじゃないか」と静観していた日本の出版社・著作権者のなかで、明石さん(そして、この新書の元記事が掲載されていた『週刊プレイボーイ』(集英社))は、文字通り「孤軍奮闘」していきます。
その一方で、海外、とくにドイツやフランスでは、この「アメリカ的なやりかた」に対して、大きな反対運動が起きてくるのです、そして、グーグルと彼らとの闘いは……

「結末」はここでは示しませんが、僕はこの新書を読みながら、こんなことも考えました。
「グーグルのやりかたは、明石さんのような『著作権者』に対しては『横暴』だけれど、僕のような著書も出版社との利害関係もない1ユーザーにとっては、『グーグルが書籍をデジタルスキャンし、公開してくれること』は、ありがたい話なのではないかな?」
 僕の立場からすれば、短期的にみれば、著作権者たちを応援するより、グーグルの肩を持ったほうがトクなんじゃないかと思うんですよ。
 そして、大部分の「一般人」のそういう感情が、グーグルのこういう姿勢を、結果的には後押ししているような気もします。
「だって、多くの人は、それを望んでいるのだから」と。

明石さんがインタビューされた、ドイツ・ハイデルベルク大学のローラント・ロイス教授は、こんなふうに仰っておられます。

「私たちは、生産者である著作者を守らなければなりません。彼らこそが、新しい考え方や新しい音楽を創りだしているからです」
「未来への投資としてあなたがたにできることは、すでに出版された本をデジタル化するために手元の100ドルを使うのではなく、著作者に100ドルを与えることです。それが、生産者としての著作者を応援することになります」

「デジタル化」によって、いろんなものが「便利」になっていくでしょう。
たとえば、図書館の本がすべてデジタル化されれば、技術的には、どんな人気の本でも「数十人待ち」になることはなく、自宅にいながら図書館からデータを送ってもらって「読む」ことも可能になるはずです。
しかし、本当にそうなってしまったら、「本を書くことで生活をする」のは、よりいっそう難しくなるはず。

いままでは、「だって2人に同じ本を貸すわけにはいかないでしょ?」で済んでいたことを、利用者の「節度」でコントロールしなければならないのが、「デジタル化時代」なのでしょう。
もしかしたら、近い将来には、モノを書くというのは、「それで収入を得なくてもいい人たちにしかできない趣味の世界」になっていくかもしれませんね。

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