琥珀色の戯言

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【読書感想】「新しき村」の百年―〈愚者の園〉の真実― ☆☆☆

「新しき村」の百年 <愚者の園>の真実 (新潮新書)

「新しき村」の百年 <愚者の園>の真実 (新潮新書)


Kindle版もあります。

「新しき村」の百年―〈愚者の園〉の真実―(新潮新書)

「新しき村」の百年―〈愚者の園〉の真実―(新潮新書)

内容紹介
一世紀前、武者小路実篤を中心として「新しき村」が創設された。戦争や暴動など国内外が騒然とする時代にあって、「人類共生」の夢を掲げた農村共同体は、土地の移転、人間関係による内紛、実篤の離村と死没など幾度も危機にさらされながらも、着実な発展を遂げていく。平成以降、高齢化と収入減のため存続が危ぶまれるなか、世界的にも類例のないユートピア実践の軌跡をたどるとともに、その現代的意義を問い直す。 ※新潮新書に掲載の写真の一部は、電子版には収録しておりません。


 「新しき村」って、まだあったのか……
 武者小路実篤さんが、社会運動として、そういう農村共同体をつくった、というのは知っていたのですが、1918年に創設されて、来年で100年。
 世の中が変わっていくなかで、すごいことではあります。
 しかも、「新しき村」というのは、特定の宗教を信仰している人たちの集団ではなくて、その主旨に賛同する人たちが、実際に農村で生活する「村内会員」と、村の外から村内会員を支援する(といっても、義務なのはそんなに高くない会費を定期的に収めるくらいです)村外会員として集まったものなのです。

 村での生活は、労働が義務づけられ、私物を除いて財産は共有だから、一見共産主義社会と似るが、マルクス・レーニン主義とは無縁で、戦後生まれのヤマギシ会のようなイデオロギーとも一切関係がない。宗教団体でもなければカルトでもなく、「君は君、我は我なり。されど仲よき」で、武者小路実篤の文学や思想に共鳴する点では一致しているものの、農作業ほかの仕事を終えたあとは、各自好きな執筆活動、芸術活動に励みながら、それをめいめいの生き方にしているところがユニークなのである。これは個が全体に奉仕している他のあまたある共同体とは真逆で(個を生かすために全体がある)、新しき村がいまだに新しい所以である。
 第二は、かつて世界各地で雨後の筍のように生まれたユートピア共同体のほとんどが、いつのまにか雲散霧消してしまったのに対して、この新しき村は、幾多の危機と困難を克服し、農作物や鶏卵の売り上げで自活を達成するかたわら、実篤没後も立派に存続し、美術館。生活文化館の建設、いち早いソーラー発電の導入など、創意と活気を失わなかったことである。


 著者は1944年生まれの民俗研究者ということなのですが、1970年代生まれの僕からすると、なんかちょっとピンと来ない感じではあるんですよね。
 理想とかユートピアとか言うけれど、こういう、生きづらい人たちが農村で集団生活をする、という仕組みそのものが、今は時代錯誤になってしまっているのではないかなあ。
 それこそ、ニートが集まるシェアハウスのほうが、よほど「現代的なユートピア」だと思うのです。
 「新しき村」が100年続いてきたのは、すごいことだけれど、その一方で、あまり大きな人数にならなかったからこそ、細々と続けてこられたのではないか、という気もするんですよね。
 2013年の時点での、埼玉県の「新しき村」の村内生活者は13名で、村外会員が160名。
 高齢化がすすんでおり、農業や鶏卵などの事業も立ち行かなくなっている状況です。
 これまでの預金を切り崩して、なんとか生計を立てているのです。
 実際は「新しき村」という名前を受け継いでいるだけの、高齢者たちが集まって生活しているだけの小さな集落でしかなさそうなんですよ。
 もともと自由度が高かっただけに、「ヤマギシ会」のような「特別な生活をしている集団」という感じでもありません。
 もっとも、イデオロギー色がもともと強くない「新しき村」というのは、名前を受け継ぎ、存在していることそのものに意味がある、ということなのかもしれませんね。

 母の世話と言いながら、奈良、ついで翌年和歌山(姉の嫁ぎ先)に移るのだから、その理由はあやしい。「一人の人がいるいないで、つぶれるような村では心細い)というのはその通りだが、村での自分と、今後の村のゆきかたに迷いが生じたのではなかったろうか。村の財政を好転させるには、どしどし原稿を書いて収入を増やすしかなく、そのためには村を離れて執筆に集中するほうがいいし、村民の独立心を養うためにも、それがいいと決心して、背水の陣を敷いたというべきか。
 いずれにしろ、これは大きな転機で、実篤があえてこうした挙に出たのも、図太さの照明ではあるだろう。以後、彼は「村外会員」の一人として村を支えていくのである。


 創設者の武者小路実篤さん自身も、「新しき村」で生活していたのは一時期だけで、その後は自ら(家庭の事情ということで)村を出て、村外会員として、経済的に村を支えています。
 著者は、武者小路実篤という人をあらわすために「図太い」と言葉を何度も使っているのですが、けっこう前言を翻したり(太平洋戦争で軍部に協力し、戦争賛美の文章を書いておきながら、戦後もあっさり「転向」しています)、言行不一致だったりしているのです。
 そして、理想主義者でありながら、現実に適応していくところもありました。
 実際のところ、「新しき村」を経済的に長い間支えていたのは実篤さんの原稿料で、農業や陶業、鶏卵事業などで自活できるようになるのは、かなり時間が経ってからでした。
 人から憎まれるということもあまりなく、長生きしたんですよね、実篤さん。
 憎めない人柄だったのか、本当に図々しい人だったのか。
 

 この本を読むと、「新しき村」の場合、内部での諍いで村での生活から離れてしまった人でも、村外会員として会の活動を支援していくことが多かったようです。
 細々とながらも、100年も続いてきたのは、そういう「緩さ」みたいなものが幸いしたのではないか、と僕は思います。

 9・11同時多発テロ、3・11東日本大震災、およびフクシマ原発事故といった超弩級のテロや災害に加え、オウム事件秋葉原事件、相模原障害者施設殺傷事件と、身震いするような無差別大量殺人も珍しくなくなった。ものがあふれ、金、金、金の世の中で、一部の富裕層は知らず、極端に言うなら、「希望だけがない」(村上龍希望の国エクソダス』)のが、この日本であり、いまの世界なのである。
 開店前にパチンコ店に行列する若者、ブラック企業に雇われて燃料のようにこき使われたあげくネットカフェをねぐらにする若者、日本には自分の居場所はないとしてイスラム国(IS)の兵士を志願する若者……、彼らは、新しき村の存在を知っているだろうか。


 「新しき村」のような選択肢が存在するのは良いことだと思うけど、若者は、たぶん、いまの「新しき村」には、魅力を感じないと思います……単なる限界集落だものなあ……

 もっと、今、「新しき村」で生活している人たちの生活ぶりやナマの声が収録されているのかと思っていたのですが、メンバー紹介や村の歴史などに多くのページが割かれていて、「創立○○周年記念の社史」あるいは「公式ガイドブック」のような内容です。
 「データとしては、どこかに残されているべきなのだろうけれど、ちょっと興味を持って新書を手にとった僕にはつらいな……」というのが率直な印象でした。


fujipon.hatenadiary.com

カルト村で生まれました。 (文春e-book)

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