琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

「面白い理由」を表現することの難しさ


「つまらない」「面白い」の表明について (ekken(3/25))
↑を読みながら、うんうん、ただ「面白い」「つまらない」だけじゃなくて、多く人に納得してもらえる「理由」を書くのが「芸」ってものだよね、と思ったのだけれども、「面白い」「つまらない」にそんなに合理的な「理由」が存在しているのかといえば、実際はそんなにクリアカットなものじゃないのかな、という気もするのです。
昨日のエントリにも書いたけれども、本の「面白さ」というのは、かなり読む側のコンディションに左右されがちなものではあるし、感情というのは、なかなか言葉にしづらいものではあるんですよね。

↑のブログのコメント欄に、lstyさんが、

面白い/つまらないというのは個人的な物だけれど、相対的な物。特にAmazonで肯定的な意見を書いているレビュアーの多くは「この人のファンだから好き!星五つ!」というアホだったりする。

と書かれているのを読んで、僕も「そうそう、ほんと盲目的なファンってやつはねえ……」と感じたのだけれども、当事者の立場になって考えてみれば、こういうのって、好きな女の子の「傍にいるだけで幸せ」みたいなものなのではないかなあ。
そうなると、本人が「誰が何と言おうと、この人が書いているものを読んでるだけで、俺は幸せなんだ!」ということならば、「そんな感想は間違っている!」とは言い難い面はあるわけで。
もちろん、amazonの場合は「レビュー」という建前なので、そういう人の評価が、とくに作者に思い入れのない読者にとっての「ノイズ」になってしまう可能性はあるのですけど。

町田康さんの作品を「この文体やリズムが……」と感じるのは「そのほかの典型的な文学作品」を読みなれた人だけで、普段本を読まない人にとっては、「何この読みにくい日本語は?」というのが率直な意見かもしれません。

あるいは、「作品としてのクオリティはさておき、ひとつのネタとしては『面白がることができる』」という『リアル鬼ごっこ』のような作品(参考:『リアル鬼ごっこ』の魅力を奪うな!(活字中毒R。))もあるわけで、「面白さ」や「つまらなさ」の理由っていうのは、言葉にしようとすればするほど、なんだか嘘っぽくなってしまうようにも思えるのです。

ほんと、「面白さ」「つまらなさ」って個人的なものであり、究極的には「それを面白いと思う人の割合が多いかどうか」という統計的な判断だけが正しいのじゃないか、という気がしてくるんですよね、考えれば考えるほど。

ekkenさんが「理由」を重視されているのは、もしかしたら、「ekkenさん自身も書く人」だからなのではないかと思うのです。
僕も「なぜこれを面白い(あるいは、つまらない)と感じたのか?」と考えるのは好きなのですが、僕の場合はそんなふうに「面白さの構造」みたいなものを意識するようになったのは、自分で文章を書くようになってからでした。そんなものはないのだろうなと思いつつも、「面白さの方程式」みたいなものを探してみたい(そして願わくば、自分でそれを生かしてみたい)と志向しているのです。
筒井康隆さんや桜庭一樹さんや森博嗣さんは、なんとなく、彼らなりの「方程式」を持っているんじゃないかな、と感じますし。

「面白い理由」っていうのは本当に難しくて、最終的には「このキャラクターが好き!」とか「今までに読んだことがないトリックに驚いた!」というような自分の「好み」とか「経験」でしか語れない部分が多いのです。逆に「つまらない理由」というのは、「文章のリズムが悪い」とか「話の筋道が全然通っていない」というような「技術的な問題」として片付いてしまうことが大部分なのですが。
「この人のファンだから好き!星五つ!」っていう読み方ができる読者は、それはそれで幸せなのではないかな、と僕は思います。

 森見登美彦さんの『有頂天家族』に対して「『夜は短し、歩けよ乙女』の焼き直しじゃないか!」とマンネリ化した作品として批判する人もいれば、「これぞ森見ワールド!」と喜ぶ人もいる。どちらも、それぞれにとっての「実感」であり、そこに正誤はありません。
 プロの作家としてコンスタントに売れて生き残っていくっていうのは、本当に大変なことなのでしょうね。

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